悠久と郷愁
観光地のCMや旅番組が増えてきたからか、ある言葉を見かける機会が増えたように思えます。
それは、悠久(ゆうきゅう)と郷愁(きょうしゅう)。
2つの違いと共通点に迫ってみますね。
悠久(ゆうきゅう)とは?
悠久(英:eternal, perpetual)の辞書的な意味は、「果てしなく長く続くこと」「長く久しいこと」とあります。
「悠久の自然が語る〜」
「悠久の歴史に思いをはせ〜」
悠久は、目の前に存在していても、とても長い時を経てきた風景。
わずかな痕跡から、そこにあった歴史を思い描かせてくれる時間に使われる言葉でした。
郷愁(きょうしゅう)とは?
郷愁(英:homesickness, nostalgic)の辞書的な意味は、「故郷を懐かしく思う気持ち」「過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち」とあります。
調べていると、何となく前にも調べたかも?と思いました。
そうでした!以前、「レトロ」「ノスタルジック」の違いを調べていたときでした。
ノスタルジックには、「故郷を離れている人が故郷をなつかしく感じる気持ち」という意味があり、日本語では郷愁が当てはまると自分で書いていたのを忘れていました。
悠久と郷愁の違いと共通点
旅行記や旅番組で見かけるようになった悠久と郷愁。
いよいよ、2つの違いと共通点に触れてみます。
違いはその人が「体験」したかどうか?
悠久と郷愁は、使われている場面は似ていても大きな違いがあります。
それは、「体験」です。
悠久は、「果てしなく長い」意味があるように第三者の視点で重ねてきた時間を感じることができるものや風景に使われます。
一方で郷愁は、「故郷」に対して使われるため、その人が昔見たり感じたりした場所に使われています。
共通点は「時の流れ」
体験といった違いがありますが、悠久と郷愁には共通点もあります。
それは、どちらも「時の流れ」に対して使われているということです。
思いをはせる勇気、思い出を蘇らせてくれる郷愁、どちらも過去から現在まで積み重ねた時の流れを感じさせてくれる言葉でした。