『八月の銀の雪』伊与原新
著者 伊与原新
出版社 株式会社新潮社
分類 小説、短編集
出版日 2023/6/1
読みやすさ ☆☆☆とても読みやすい
今回は、第172回直木三十五賞を受賞された伊与原新さんが昨年出版された『八月の銀の雪』の紹介です。
物語の登場人物同士を、「科学」という人間の発見した技術が結びつける斬新な作風が今話題ですよね。
5つの物語と登場人物
『八月の銀の雪』は、5つの短編それぞれに主人公がいる物語。
大学生、シングルマザー、中年世代の会社員、若手の会社員、転職予定の人。
登場人物は私たち読者に近い立場であったり、身近な誰かにも見え、登場人物目線で物語の中に入り込めそうな作品です。
「八月の銀の雪」大学生の堀川
理系の大学院生 堀川は、子どもの頃から人前でうまく話せない弱みのため就職活動に苦労していた。
大学の研究室と自宅アパートの中間にあるコンビニには、目的がある時もない時も立ち寄るのが習慣になっている。
就職活動に比べると小さな悩みは、アジア系の外国人店員グエンのいい加減な応対と無機質な接客態度だ。
堀川と同年代の女性店員グエンは、他の客ともささいなトラブルを起こすトラブルメーカーでもあった。
日々の習慣で立ち寄ったコンビニで出会ったのは、流行りの投資ビジネスで高収入を得ていると話す同級生の清田だった。
「海へ還る日」シングルマザーの野村
自分勝手な夫と離婚後、旧姓に戻った野村は2歳9カ月になる娘 果歩を育てていた。
生まれつきの心臓の異常で、通院が必要な果歩のベビーカーを押し混み合う京成線に乗るのも定期的な日常の一部だ。
その日常の移動は過酷で泣きたくもある。
通勤時間帯となるとベビーカーに鋭い目線が集まり、抱っこ中も果歩の手足が当たる乗客から露骨な態度を取られる。
混雑する満員電車の中でグズる果歩をなだめてくれたのは、初老の女性 宮下和恵だった。
クジラのシールをくれた和恵は、自身の働く上野の博物館に遊びに来るよう2人に進めてくれることに。
「アルノーと檸檬」管理会社の社員、正樹
マンション管理会社で働く39歳の正樹は、少々やっかいな仕事を担当することに。
高層マンション建築が進む首都圏で、老朽化したアパートに立ち退き交渉に訪れていた。
古いアパートに住む老婦人、白粉婆こと加藤寿美江には、階下の住民から「ベランダで鳩に餌付けをしているようだ」と苦情が寄せられていた。
寿美江が鳩に餌付けをする理由、それを知った正樹のこれからは……?
物語の始まり
就職活動、子育て、仕事、恋愛、転職……。
自分も、身近な人も、すれ違うだけの誰かにも、曲がり角と呼ばれる生き方の節目がある。
傍目には穏やかな日々を過ごしていそうな人にも、その人にしか実感できない迷いや悩みはある。
人同士のつながりを生む科学
科学とは何なのだろう?
答えは、科学の専門家でもある伊与原新さんの本の中に見つけてもらうとして、科学だけがそこにあるのではないのが『八月の銀の雪』の世界。
「○○理論」や「○○の法則」は、ネット上の解説を読んでも実感が湧くことはほとんどない。
その「○○理論」を実践し、誰かに伝える、知らない人に教えてくれる。
科学が伝わり合う人同士に、つながりが生まれ、全く接点が無かった人が知り合い、交流を深めることにもなる。
科学には技術だけではなく、人同士の関係も発展させる力があるのかもしれない。
伊与原新さんの描く物語には、そうした思いが込められているように感じますよね。