人生は空港で出発を待っている時間なのかもしれない
Buddha Nippon Airline108便をお待ちのお客様へお知らせいたします。
Attention passengers on Buddha Nippon Airlines flight 108 to Gokuraku Jyodo.
BNA108便は定刻通りの出発となります。
BNA108 departs on time.
ある日の寝る前のひらめき
800記事目を記念して、今日は花水(hanami)の妄想と人生をテーマに綴らせていただきますね。
ある日の寝る前にこんなことを思いついていました。
「今生きている人生は空港の中の出来事なのかも?」
旅行や仕事で空港を訪れると、いろんな国籍の人がいます。
忙しそうにキャリーケースを転がしているビジネスマンも、これからの旅行に笑顔が漏れる人も、マナーの悪い海外の方も見かけます。
これって、人生そのものなのかも?
人生は空港の中
仏教的な考えでは、私たちの命は六道輪廻と呼ばれる6つの世界を生死を繰り返しながらグルグルと巡っているとされています。
キリスト教やイスラム教では、人間としての命が終わった後は神様の暮らす天国か永遠の牢獄地獄に行くとされています。
そうなると私たちは空港の中にいて、次の世界に向かう飛行機を待っているのかもしれません。
人生はあの世への待ち時間
今、花水(hanami)やブログをご覧の方が暮らしている人生は空港のショッピングモールやロビーで寛ぐひと時。
同じように待っている人との出会い、同じようにお店を訪れる人同士のトラブルや嫌な思いもあるでしょう。
保安検査場は人生の振り返り
いろいろな出会いや出来事があった待ち時間もいつか終わり、いよいよ搭乗口に向かいます。
手荷物検査やパスポートの確認は、人生の振り返りに当たるのでしょうか?
職員「パスポートはお持ちですか?」
人「ええ、仏陀国のパスポートがあります」
職員「ペットの搭乗はできませんよ」
人「そこをなんとか、この子ひとり残せないんです」
職員「そう言われましても、法律で決まっておりますので」
こんなやりとりがあるのかもしれません。
パイロットは仏様
保安検査場を抜けると、信仰していた宗教やお葬式の上げ方、その人の価値観に合わせて搭乗口へ向かいます。
「BNA108便をお待ちの方へお知らせ致します。BNA108便は定刻通り出発いたします。搭乗口6番へお集まり下さい」
搭乗口ロビーでは、こんなアナウンスが流れているかもしれませんね。
「BNA108便へご搭乗のお客様。当機の機長は阿弥陀如来、副機長は観音菩薩、チーフパーサーは勢至菩薩が務めております」
「当機は間もなくジョウド国際空港へ向け離陸いたします。シートベルトを締めお待ちください」
阿弥陀如来さまを拝んでおられた方は、「迎えに来てくれる」とお経に書かれていた通り直行便があることでしょう。
出発は決まっている
「出発」というと良い意味に聞こえますよね。
生まれた時から出発は決まっている
出発、つまり今ある命を終えて次の命に向けて旅立つことは、私たちが生まれたときから決まっています。
仏教では、命は何度も生まれ変わる「輪廻(りんね)」と呼ばれる考え方があります。
キリスト教では、神様を信じて良い行いをすれば天国に生まれると信じられています。
人は死ぬことは、地球上ではもう決まっていることなんですね。
空港の誘惑
そう考えると、私たちが今生きているのは空港の中で過ごしていることに当てはまります。
空港には、美味しい飲食店があったり、珍しい物が売られていたり、旅先での出会いもあるかもしれません。
私たちは、保安検査場を越えるまで、いつも何かに誘われている暮らしを送っています。
どこへ行くのか?
保安検査場を超えて飛行機に乗ってからの行き先は、飛行機に乗るまで決まっていません。
仏教では、天国と地獄の他にも欲望が絶えない「餓鬼(がき)」の世界、本能のままに生きる「畜生(ちくしょう)」の世界、争いが絶え間ない「修羅(しゅら)」の世界、そして私が暮らしている「人間(にんげん)」の世界があります。
理想的な仏様の「浄土(じょうど)」の世界は、1人ではなかなか行けないといわれています。