『しょせん幸せなんて、自己申告。』綾小路きみまろ
著者 綾小路きみまろ
出版社 朝日新聞出版
分類 エッセイ
出版日 2017/10/30
綾小路きみまろさんのエッセイ『しょせん幸せなんて、自己申告。』を紹介させていただきます。
まるで漫談ショーのように、本の中からきみまろさんが語りかけてくれるエッセイ。
私はエッセイというより、なんだか人生の教訓を教えてくれる教科書に思えてなりませんん。
今の「努力」に成果を感じない方、周囲と比べて「幸せ」ではないと悩まれる方におすすめの1冊。
- 『しょせん幸せなんて、自己申告。』綾小路きみまろ
人生を語る本『しょせん幸せなんて、自己申告。』綾小路きみまろ
綾小路きみまろさんの人生観が詰まった『しょせん幸せなんて、自己申告。』
漫談のような語り口で書かれた、本とは思えない読みやすさがある1冊。
タイトルにもある「幸せ」、そしてきみまろさんが続けてきた「努力」、人との「縁」をテーマに読んでほしい生き方の教科書です。
綾小路きみまろさんの紹介
既にご存知の方が多く、今更紹介は不要とは思いますが、綾小路きみまろさんの歩みに触れてみます。
漫談家 綾小路きみまろさんのあゆみ
綾小路きみまろさんの紹介は、不要と思いますが『しょせん幸せなんて、自己申告。』を読んで初めて知ったことも多くあり、簡単な紹介をさせていただきますね。
綾小路きみまろさんが、芸能界を目指したのは1960年代。
当時大学生のきみまろさんは、キャバレーでのアルバイトで司会者の腕を磨く日々を送っていました。
キャバレーでの下積みから10年後、知り合った森進一さんや小林幸子さんのコンサートの司会者を務めながら漫談家としてデビュー。
下積み時代はさらに続き、脚光を浴びたのは2000年に入ってから。
40年に渡る下積みを経て、中高年の方に限らず、多くの世代に親しまれる「綾小路きみまろ」が世の中に知られるようになりました。
『しょせん幸せなんて、自己申告。』では、きみまろさんの人生の多くを費やした下積み時代での経験から「人生」というものを語られています。
『しょせん幸せなんて、自己申告。』綾小路きみまろ 漫談のように人生を語りかける本
『しょせん幸せなんて、自己申告。』は、人生の流れに沿った構成で語り口調で書かれたとても読みやすい本です。
生き方から終い方までの人生の流れ
はじめに p3~p5
第1章 生き方~不確実な人生を楽しむ p10~p33
第2章 人の縁~いつだって一瞬、一瞬がすべて p36~p67
第3章 挫折と不安~向かい風の中を歩くときの心得 p70~p99
第4章 家族~愛と憎しみが紡ぐ小さな宇宙 p102~p131
第5章 健康と老い~美しく、正しく時を刻む p134~p157
第6章 運と幸せ~「おかげさま」の心が、幸運を呼び込む p160~p189
第7章 人生の終い方~他人と自分の間を漂うもの p192~p221
おわりに p222~p223
人生の成功は地道な努力と人の縁
地道な努力といい人との縁の積み重ね。
成功は地道な努力の積み重ね
歌謡ショーでも自作の漫談を披露する機会があり、人を笑わせることに喜びや手応えを感じていました。
それに漫談だったら訛りも関係ない。
こうして漫談家としてスポットライトを浴びることが、私も大きな夢になったのです。
それからというもの、自作の漫談を吹き込んだカセットテープを配り歩くことが、私の日課になりました。
「まずは1人でも多くの人に聞いてもらいたい」。
そう思えたからです。
中略)
このときすでに40代後半。
まさに雲をつかむような話ですが、振り返ればこれが芸人・綾小路きみまろの出発点でした。
第1章 生き方~不確実な人生を楽しむ「挑戦について」 p14~p15
綾小路きみまろさんにも、長い下積み時代はありました。
夜のキャバレーの司会、そして40代になると歌謡ショーに参加しての漫談披露。
その傍ら続けていたことが、ご自身の漫談をテープに録音して無料で配り歩くこと。
40代後半というと、多くの方のお仕事が安定してくる世代。
さらに先を目指して、いつ成果が出るのかわからない地道な努力。
最近ではテープを利用する方も少なく、当てはまるのは無理の動画投稿やWebページの更新に当てはまります。
小さな努力の積み重ねが成果を出した方の実録なんだなぁと思います。
「縁」に気づくこと
「縁」というのは、もとは仏教の言葉なのだそうです。
「縁起」とは、「原因に縁って結果が起きる」ことで、お釈迦様は「これがあれば彼があり、これがなければ彼がない」と説きました。
私が今、綾小路きみまろとして活動していられるのも、こうした縁の力によるものです。
中高年をネタにした漫談をやっているのも、森さんや小林幸子はんなどの司会をつとめていなければあり得ないことでした。
第2章 人の縁~いつだって一瞬、一瞬がすべて「出会いについて」 p40
第2章からは、綾小路きみまろさんの人生観が語りれる内容が増えてきます。
「縁」は物事には原因があって、今はその結果が積み重なったものという仏教の考え方。
暮らしや仕事で良いことが起こったのも、原因になることがあって、その原因にもキッカケがあるとのこと。
なら、その「キッカケ」はなぜあったの?と思います。
キッカケを見つけて「選択」したのも、また自分。
なぜ選択したのかは、そこの人生に至るまでの積み重ねで生まれた考え方。
全ての物事には、理由があることを実体験を語られていますよね。
「良いところを見つけられる人」が本当に「人を見ている人」
たけしさんを初めて見かけたのは、渋谷のパルコ劇場です。
当時は西武劇場という名前で、今でいうお笑いライブのようなものを毎週のようにやっていました。
中略)
もう1度、たけしさんと同じ舞台に立ちたい。
考えるのは、いつもそればかりでした。
それから時代は巡って、2015年。
とある番組の企画で、私はたけしさんと再びお会いする機会に恵まれました。
中略)
そのとき正直に、「昔からずっと憧れていたんですよ」と告白したんです。
するとたけしさんは、こう言いました。
「いや、違うんだきみまろさん。おいらがあんたに憧れていたんだよ」
面食らいましたね。
でも、それが上辺だけのお世辞でないことは、すぐにわかりました。
たけしさんは売れてからも、私がキャバレーでやっている漫談を、お忍びで観に来てくれたそうです。
たけしさんと再会して、改めて「運命とはすごいものだな」と感じました。
お互い直接励まし合ったり、支えあったりしたわけではありません。
それでも心の片隅には、いつもお互いの存在があり続けた。
私が腐らずに、40代で自作のテープを配り歩いたのも、ずっと第一線で活躍されているたけしさんへの強い憧れがあったからです。
第2章 人の縁~いつだって一瞬、一瞬がすべて「再会について」 p63~p66
自分は案外見られていて、人に少なからず影響を与えることもある。
人生経験の少ない私には、まだ訪れたことがない経験です。
世の中には、人の欠点を見つけ出すことが特技のような人もいます。
よくそういう人たちを、「あの人は人をよく見ている」と言う人もいます。
それは、アラ探しが上手いだけで少し違うのかなぁと思います。
本当に「人を見ている」方は、良いところを見つけることができる方ではないでしょうか?
良いところを見つける方が、「新しいこと取り入れられる」ため、見つけた人の役に立つことだと思いますよ。
「人のふり見て我がふり直せ」は、他人の失敗を自分の人生に活かす方法ですが、非常に難しいやり方。
他人の良いところを取り入れる方が、より簡単。
ビートたけしさんの成功の理由にも、綾小路きみまろさんのような他の芸人さんの良いところを見つけて自身の仕事に役立てていったのかもしれませんね。
縁で結ばれた人間関係の秘訣
縁で結ばれた人の輪を保つ秘訣。
会話に活かせる「間」の取り方
舞台袖で人にのある落語家の話を聞いていると、聞こえるか聞こえないかぐらいの静かな声で話し始める。
するとお客さんは、じっと目を閉じて耳を澄ませます。
全員が話に集中して、場に緊張感が生まれる。
この瞬間に、落語家はさっと話の調子を変えて、姿勢を崩すのです。
会場は、どっと笑い声に包まれます。
なるほど、これが「間」というものかと、私は啓示を得た思いでした。
中略)
あの日から、私は1度として、同じ構成で話をしたことがありませんり
どんなネタをやるかは、あらかじめ目星をつけておきますが、毎回お客さんの反応を見て、話す順番や内容を入れさえたりしています。
第3章 挫折と不安~向かい風の中を歩くときの心得 「失敗について」p85~p87
この「間」の取り方は、営業やプレゼンテーションに活用できる方法に思えました。
もちろん、普段の何気ない会話にも。
読むだけで、綾小路きみまろさんが巧みな「間」を取りながら中高年の方をドッと笑わせている場面が浮かんでなりません。
円満の秘訣は「相手の思いを受け入れる」だけ器を開ける
夫婦といえども、違っていて当たり前です。
お互いに、あまり求めすぎないことが肝心。
全ての他者は、思うに任せぬ存在です。
求めれば求めるだけ、苦しみとなって自分に跳ね返ってきます。
だから相手を変えるのではなく、自分の見方を少し変えてみるのです。
すると驚くほど楽になることは、世の中にたくさんあります。
中略)
見つめ合うことだけが、愛情表現ではありません。
「こうして」と要求ばかりするのではなく、「こうしてみない?」と提案してみる。
面と向き合うのではなく、隣に並んで、同じ方向を見つめてみるのです。
中略)
理想の夫婦像なんてものに惑わされてはいけません。
夫婦関係に開いた小さな穴は、ストレスをためないための通気口。
愛情も、少ししぼんだり、くたびれたりしているほうが、丈夫で長持ちするものです。
第4章 家族~愛と憎しみが紡ぐ小さな宇宙 「夫婦について」p102~p107
この「夫婦について」の内容だけでも、この本を読んで良かったと思えます。
仏教の本などによく書いてありますが、「自分の気持ちもコントロールできないのに、人の気持ちが思い通りになるはずはない」ということ。
綾小路きみまろさんも、「思うに任せぬ存在」と表現しています。
「こうして欲しい」と思うと、「なんで、こうしてくれないの!」と怒ります。
「これはやめて欲しい」と願うと、「なんで、やめてくれないの!」と悲しむことになります。
それなら、「何も思わなければいい」というところに行き着きます。
「何も思わない」と苦しむこともないのですが、相手への関心も薄れてしまう。
そこで、綾小路きみまろさんは、良い方法を教えてくれています。
それは、「こうしてみない?」と提案してみること。
横に並んで、同じ目線で一緒に物事に向き合ってみること。
横に並ぶわけですから、一方的に「こうしよう!」とはいきません。
相手が受け入れられない内容なら、譲り合うことも大切、受け入れることも重要でしょう。
こちらの方が、実は難しいのでは?と思います。
1つ、例えを思いついたのですが旦那さんと奥さん、彼氏と彼女がそれぞれ1つずつ容器(コップ)を持っていたとします。
容器(コップ)に満たされているのは、相手への想い。
お互いが一杯だと、これ以上想いは入りません。
ですが、長続きするためには、容器に一杯の自分の思いを少しだけ減らして、相手側の主張を受け入れるだけ空けてあげる必要があるんだなと思えましたよ。
人生のチャンスを掴めるかは「努力」を続けた下地づくり
人生を大きく変えるチャンスは、誰にでも、平等に訪れます。
私は少なくとも、3回くらいは必ず来ると思っている。
ただ、それに気づかない人もいれば、つかめない人もいます。
チャンスをものにするためには、常日頃の準備が大切なんですね。
人生は、「縁」と「運」と「努力」の積み重ねです。
運は、天から降ってくるもの。
それを手繰り寄せるのは、人の縁です。
ですが、最後にそれをものにできるかどうかは、それまでに人知れず続けてきた努力にかかっている。
うやむやだけでは、与えられません。
多くの運に恵まれるかどうかは、努力によって広げた下地の広さがものをいうのです。
第6章 運と幸せ~「おかげさま」の心が、幸運を呼び込む 「チャンスについいて」 p164
人生のチャンスは3度訪れる。
私には1度訪れましたよ。
後の2回は、気づくことができるのか?
そして、チャンスを生かすことができるのか?
暮らしのことでも、仕事のことでも、些細なことでも、努力は続けていかなければならないと思わせてくれるお話ですね。
幸せは自分の中に、そして感謝は表してこそ伝わる
幸せのありかとは…?
「幸せだなぁ」と思えた人が幸せ
いろいろ不満は尽きませんが、しょせん幸せなんて、自己申告。
他人や、過去の自分と比べたって、仕方ありません。
貧乏人でも金持ちでも、どうせ死亡率は100%と決まっています。
ならば、今日できることを、1日1日と楽しんでいきたいものです。何が幸せかなんて、人によって違うし、わからない。
健康で、自分のやりたいことをやれている人が、いちばん幸せ。
第5章 健康と老い~美しく、正しく時を刻む 「健康について」p134
本のタイトルにもある、「しょせん幸せなんて、自己申告。」
「幸せだなぁ」と思えた人が幸せなのでしょう。
私も「誰かと競い合う」ことを離れて少し経ちますが、人と比べることは、まだまだ多くあります。
世の中での成功、円満な家庭、安定以上の収入、やりがいのある仕事、人や世の中と比べていてはキリがありません。
成功し続けることは難しく、失敗したときの反動も大きいもの。
家族のあり方も、国内でさえ地域や世代で大きく変わります。
経営者であっても、労働者であっても収入の安定は一時的で経済の変化で変わってしまう。
仕事のやりがいは、もちろん価値のあることですが、「その仕事」があってのもの。
それなら幸せって?
きっと、自分と周りの人たちの中にしかないのかなぁ。
私の幸せは、「大切な人と大切な時を過ごせる」こと。
仕事や世の中で疲れていても、「安心できて楽しめる場所と時間を作れる」こと。
この2つが、できていたら。
とりあえず私は幸せなのかなぁと思えますよ。
感謝を伝えられる3つの態度
私は漫談の公演で地方を回るとき、必ずスーツケースの中に、一輪のバラの造花を入れて持っていきます。
ステージに上がるときは、この花を皆さんへの感謝の印として、客席から見えるようにテーブルの上の花瓶にさしておくのです。
赤い花も、緑の葉に助けられている。
茎や根っこがあって、初めて大輪の美しい花を咲かせられる。
皆さんのおかげで咲くことができた、このすこし不恰好な花を、心ゆくまで楽しんでいただきたいと、いつも願っています。美しい花を咲かせられるのも、葉や茎や根があるからこそ。
支えてくれた人への感謝の気持ちを忘れなければ、幸せを見失うことはない。
第6章 運と幸せ~「おかげさま」の心が、幸運を呼び込む 「感謝について」 p184~p186
そして幸せには、感謝が大切。
感謝は思っているだけでは、自分の中にしかありません。
言葉や態度で伝えることで、はじめて感謝は形になって世の中に現れてくる。
感謝の気持ちを態度で表すのは難しくもありますが、簡単にできることがあったことを思い出しました。
それは、「無財の七施(むざいのしちせ)」。
仏教の徳を積む布施(ふせ)の方法で、お金や物で布施ができないときに誰でも取り組める7つの方法。
眼施(げんせ)
「相手にとって」優しい眼差しを向けること。
和顔施(わげんせ)
相手に笑顔で接することです。
言辞施(ごんじせ)
正しく優しい言葉遣いで、受け取る側にとって「優しい」言葉を使うこと。
身施(しんせ)
重い荷物を運んであげたり清掃をして、身体を使った労働をすることです。
心施(しんせ)
こちらは、相手の心の奥を深く思いやり、気持ちを共にしてあげることのようです。
床座施(しょうざせ)
こちらは文字通り、床や座席を施すこと、つまり席や場所を譲ることですね。
房舎施(ぼうじゃせ)
本来の意味は自分の家に困っている人を泊めること、とあります。
例えば、持っている飲み物食べ物を分けてあげることが房舎施(ぼうじゃせ)になるといいのですが。
この中で、花水(hanami)自身が気をつけていることは、「相手にとって」優しい眼差しと笑顔で暮らす眼施(げんせ)と和顔施(わげんせ)。
心の奥を深く思いやり、気持ちを共にしてあげる心施(しんせ)の3つです。
もちろん私は、お坊さんでもなければ、綾小路きみまろさんのように、全てに感謝できるほど人生を受け入れている人間ではありません。
大切な人、感謝したい人だけには、優しい眼差しと笑顔で接して、気持ちを共にできる眼施(げんせ)と和顔施(わげんせ)、心施(しんせ)の3つの態度を心がけていきたいなぁと改めて思いましたよ。
幸せの価値観を見つめることができる『しょせん幸せなんて、自己申告。』
苦労人 綾小路きみまろさんの『しょせん幸せなんて、自己申告。』は、今努力していて成果を感じない方。
「人生の幸せって?」と、幸せの価値観に迷う方におすすめの本です。
40年間の努力を続け、多くの人との関わりを大切にしてこられた綾小路きみまろさんが「努力する理由」、「幸せの見つけ方」を語っています。
努力いらずの天才もいるけど、努力家の凡人の方が圧倒的に多い
成功した方の中には、幼い頃から才能に恵まれ、環境にも恵まれて成功する方もいます。
才能も環境も、突然そこにあったわけではないでしょう。
才能は、天才と呼ばれる人たちの先祖が長年かけて磨き続けてきたもの。
環境は、天才と呼ばれる人たちの家族や周囲が努力して整えた結果。
こうしてみると、生まれ持って才能を与えてくれる遺伝の結果、先祖の長年の苦労の結果といえるでしょう。
天才と呼ばれる人たちもまた、先祖や周囲の人の努力が実った成果を得ているのだと思います。
そして、私も含む世の中の多くの方は、特別な才能も生まれた時から整った環境もない普通の人。
これからご夫婦や子どもたち、さらに孫やひ孫にまで成功を収めてほしいと思うもの。
そのためには、まず自分から「長続きのする地道な努力」を始める必要だと思います。
大切なのは幸せと感謝
努力に加えて、もう1つ欠かせないものがあります。
それは、幸せと感謝。
幸せは、きっと、自分と周りの人たちの中にしかないのでしょう。
私でしたら、「大切な人と大切な時を過ごせる」「安心できて楽しめる場所と時間を作れる」。
この2つが、できていたら。
「幸せだなぁ」と思うことにしています。
そして、感謝は言葉や態度で表さなければ伝わりませんし、感謝が「どこにある」のかもわからないでしょう。
感謝の言葉の他に、態度で表すことも大切でしょう。
感謝を簡単に伝える方法に、「無財の七施(むざいのしちせ)」があります。
これは、仏教の徳を積む7つの方法。
この中の3つの態度は、感謝を伝えたいときにも役に立ちます。
大切な人、感謝したい人だけには、優しい眼差しと笑顔で接して、気持ちを共にできる眼施(げんせ)と和顔施(わげんせ)、心施(しんせ)の3つの態度を心がけていきたいなぁと改めて思いましたよ。