危機にこそぼくらは蘇る 新書版 ぼくらの真実 青山繁晴
著者 青山繁晴
出版社 株式会社 扶桑社
分類 政治・経済
出版日 2017/8/1
読みやすさ ☆★★少し読みづらい
今回は、政治と経済の本のジャンルから少々辛辣はお話をされる青山繁晴さんの本を取り上げてみました。
たまたまいただいた『危機にこそぼくらは蘇る 新書版 ぼくらの真実』
数年前にたまたまいただいて、ずっと本棚にあったのを思い出して読んでみました。
著者の青山繁晴さんは、今年の春の国会での発言がネットニュースに取り上げられて、なんとなく「憲法改正に関わっている政治家さん」としか知りませんでした。
そのまま読まず本棚に置いておくのも気が引けたので、開いてみることに………
『危機にこそぼくらは蘇る 新書版 ぼくらの真実』の最初には、元ジャーナリストでもある青山繁晴さんの取材風景の写真があり、背広を着て国会に参加される青山繁晴さんの若々しい姿がありました。
青山繁晴さんの紹介
青山繁晴さんというと、テレビに出演される解説者、国会議員の方というイメージがあります。
実は、歴史的な事件でもある「日本大使公邸占拠事件」を取材された記者さんでもありました。
元ジャーナリストの政治家 青山繁晴さんの経歴
現在は、自民党の参議院議員で政治家をされている青山繁晴さん。
元々は共同通信社に入社し、ペルーで起きた「日本大使公邸占拠事件」を担当されるなど記者として活躍されました。
その後は有限会社独立総合研究所を設立し、外交・防衛、危機管理、エネルギーの専門家としてテレビやラジオに多く出演されています。
当時の動画を見てみると、わずかですがお顔が記憶に残っています。
ジャーナリストの経験からか海外の、中でもアメリカの高官との交流があり、英語の他に中国語にも堪能な国際派の政治家の方でもあります。
経歴を書いてしまうと、ものすごくエリートの方とだけ伝わってしまいがちですが、破天荒なエピソードも多くあり、ネット上ではよくイジられているようですね。
シンプルな構成と少しの読みやすさ
『危機にこそぼくらは蘇る 新書版 ぼくらの真実』は、1つの章で1つのテーマを扱うシンプルな構成。
文章が難しいというより、お話の内容が抽象的な内容があったことから「少し読みずらい」と感じました。
自分たちを守るために憲法9条を考える
自分たちの安全は、自分たちで守る。
憲法9条と日米同盟を掘り下げた内容です。
日本は「独立」してはいなかった!
桜の春になると毎年、僕は近畿大学と東京大学のキャンパスで、それぞれ新しい若い顔にめぐり逢います。
その新入生に必ず、最初に投げかける問いがあります。
それは「きみは独立しているか、日本は独立しているか」という学生諸君には意外な問いです。
十八歳や十九歳ほどの学生の多くがこう答えます。
「それは………私はまだ独立していません。しかし日本は独立しているでしょう」。
男子も女子も、当然ではないかという表情です。
「いや、きみは独立している。しかし、残念ながら日本はまだ独立していない」とぼくは問題提起します。
一の扉 独立 p28
「国」の独立を「人」の独立に例えると、日本は独立していないのかもしれません。
「人」が独立しているのは、自分のことを自分で決められること。
「国」が独立していないのは、日本は日本のことを自分で決められないことにあります。
米軍の基地問題から、自衛隊の装備、海外での活動までアメリカの意向なしには何も決められない。
そう言われると、独立してはいないのかもしれません。
改めて憲法9条を考える
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
二の扉 正憲法 p64
「日本国憲法」を初めて習うのは、中学校の頃、今では小学校高学年くらいでしょうか?
憲法を改めて見て思ったことは、「基調」「希求」「発動」と、身近ではない言葉も見かけます。
青山繁晴さんは、著書の中で憲法の成り立ちについて書かれています。
私が習った頃は、日本人の政治家が第二次大戦を反省して考えたように習っていたはず。
実は、アメリカの占領軍から英語で書かれた憲法の案を渡されて、それを翻訳して作ったものなんですね。
当時、日本に戦争で勝ったアメリカに都合のいいように書かれた憲法の案、アメリカ側でも「仮の憲法」と考えられていたようです。
自分の国の国民を助ける権利を自分たちで認めていない
「世界のどこともしれない国と国民は、国際紛争が起きたときには、相手の国の言い分もちゃんと理解している。だから、そういう時に武力で脅したり、武力で言うことを聞かせてはいけない。自衛権を使うときは、そういう立派な国と国民ではなくて、こちらの言い分もわからない野蛮な、特殊な、変わった国が相手だから、この憲法第9条の定めるところとは別である。したがって自衛権は認められている」
憲法第9条が自衛権は認めているとする立場を、無理に説明すると、のこようになります。
中略)
実際の国際社会では、北朝鮮は、国も国民も自分たちこそ公正で信義があると、心の底から考えています。
日本国民を拉致したことも、本気で正しいと思っているのです。
日本国内にすら「日本はかつて朝鮮民族を強制連行して働かせたりしたんだから拉致されても仕方ない」と主張する人が沢山います。
中略)
だから北朝鮮は、拉致事件を引き起こしたことを悪いなどと思っていない。
国際紛争はかならず、「自国は正しい」と考えている国同士で引き起こされます。
「自国が悪く、他国が正しい」と考えつつ紛争の原因をつくる国など無いのです。
憲法前文の真の問題は、その人間の現実を無視しているところにあります。
したがって、自衛権は、いかなる国際紛争にも備えて確保されなければなりません。
二の扉 正憲法 p96〜p97
「国が自分の国民を助ける権利と方法」
これは、今まさにテーマなっている話題ではないでしょうか?
10月23日にシリアの武装勢力に拘束されていたジャーナリスト安田純平さんが解放されました。
とにかく命が助かって良かった。
そう思うのが1番。
安田純平さんが拘束されたことについては、色々な意見をお持ちの方がいらっしゃると思います。
私が2つ思うこと、1つは解放までに3年の時間がかかったこと。
もう1つは、身代金についてです。
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12136-111866/では、身代金3億円をカタール政府が支払ったともあります。
想像しやすいことですが、後で日本政府がカタールにお金を支払うでしょう。
人の命ですから、金額の問題ではありません。
1度支払ったことで、武装勢力は「日本人を捕まえると身代金がもらえる」と考えるようになること。
その身代金で武装勢力は、銃や爆弾をどのくらい買うのでしょうか?
そして、日本が支払った身代金で武装勢力が買った武器でまた人が残酷に殺される。
もし日本が、海外の国のように特殊部隊が国民を助ける権利を持っていたら。
「日本人を拉致するとニンジャのような特殊部隊が救出にくるから、手を出さないでおこう」
武装勢力の考え方も大きく変わるのではないでしょうか?
「自分の国の国民を助ける権利」を持つことは、私たちの安全に関わってくる大切な問題でもあります。
ほんとうの危機に気づいて、そして備える
危機は気づいて、備えることで危険が少なくなる。
出版当初よりも、周辺の国の情勢が変化した今、私たちの周りにある危機とは?
危機とは危険に気づかないこと
危機とはそもそも何だろう。
やられることか、やられそうになることか。
それとも、やららていることにすら気づかないことか。
中略)
危ないことをされそうなのが危機なら、私たちはそれに備えて、いつも受け身だ。
受け身でいなければならない。
真の危機とは、すでに侵されていることに気づかないことです。
気づかないでいるから、さらに深く致命的に侵されそうになります。
それも知らないでいることもまた、真の危機です。
六の扉 危機を生きる p232
「危険」を知らないこと、それが「危機」
例えば、近所で強盗が逃走しているという「危険」。
強盗の逃走を知らないと、戸締りもおろそかになり、家の中に刃物を持った強盗が入ってきて初めて「危険」を知ることになります。
他にも、会社の業績が悪化しリストラの会議をしている。
会社の業績の悪化やリストラの会議があることを知らないと、働いている従業員は「リストラ」を告げられてから初めて仕事を失う「危険」を知ることになります。
何事にも「備える」こと
予め備えないと危機にも救出の機会にも間に合わない。
これは、僕らの危機を超えていくときの、みんなと共有する大原則でしょう。
さぁ、ひとりひとりが自分の頭で考え、本書にあえて登場させた自称ジャーナリストや学者のように確認もせずに発言し、ご自分を守ろうとするのではなく、しっかりと真実、事実を掴んで、人のためにこそ生きませんか。
それが、ぼくらの危機に立ち向かう唯一の王道です。
七の扉 危機を笑う p398
自分に迫る危険があるのか、アンテナを張り巡らせて情報を仕入れておくことが危険に備えることになります。
これは、国にもいえることです。
青山繁晴さんは、北朝鮮の拉致被害の救出をテーマに書かれていました。
これは最近身近な話題、先ほどの安田純平さんのお話でも言えることではないでしょうか?
私も、何かあったらすぐに武装した隊員を送って解決は少しやりすぎとも思えます。
それでも、交渉にも応じず、危険にさらされている国民を他に助ける方法がないのなら、最後は武装した特殊部隊を派遣して助け出せる。
その方法だけではなく、「国民を助けても良い」という決まりを作っておくべきだなぁと思えます。
憲法改正に備えて
去年や今年の国家では、森蔭問題が大きく取り上げられていましたが、新年号を迎える来年はいよいよ憲法改正が議論されることになると言われています。