ポテサラ論争、自粛警察が起きた2つの問題
小さなお子さんを連れ、スーパーの惣菜コーナーを訪れたお母さんに投げかけられた心無いひと言。
ポテサラ論争の始まりです。
今回は、ポテサラ論争や自粛警察など知らない人同士のトラブルの原因を探ってみましたよ。
ポテサラ論争、自粛警察の「人との距離感」「日本語の表現」の問題
「母親なら、ポテトサラダくらい自分で作ったらどうだ?」
スーパーの惣菜コーナーで、見知らぬ高齢男性に言われた理不尽なひと言。
お母さんの書き込んだSNSが広まり、テレビで取り上げられるほど大きな「ポテサラ論争」が起こりました。
ポテサラ論争の原因には、「人との距離感」「日本語の表現の難しさ」の2つの原因があるのではないでしょうか?
人との距離感とは?
人との距離感というと、ソーシャルディスタンスがイメージしやすいですが、この場合「気持ちの距離感」という意味です。
具体的には、親しい間柄では距離感が近く、あまり接点がない人とは距離感が遠いことになります。
ポテサラ論争では、見知らぬ高齢男性が子ども連れのお母さんの家庭に踏み込んだ発言をしています。
家庭に踏み込んだやりとりは、親しい間柄でしかしないので、男性は気持ちの距離感に突然踏み込んでしまったことになります。
日本語の表現の難しさ
もう1つは、日本語の表現の難しさではないでしょうか?
日本語は、普段の会話、敬語の他に文章の構成や語尾で伝わり方が大きく変わります。
「母親なら、ポテトサラダくらい自分で作ったらどうだ?」
男性の話した言葉使いは、知らない人に対して普段の会話で話しかけている時点で反感を買いそうです。
他にも、3カ所問題になりそうな表情があります。
「母親“なら”、ポテトサラダ“くらい”自分で作ったら“どうだ?”」
まずは、「〜なら」と役割を一方的に押し付ける表現。
2つ目は、「〜くらい」とポテトサラダをないがしろにした表現。
3つ目は、「どうだ?」という強い語尾です。
「今日は、ポテトサラダを自宅で作ってはいかがでしょう?」
男性がこう言っていたら、ここまで大きな問題にはならなかったのではないでしょう?
知らない人に一方的に言われる筋合いはない
人との距離感、日本語の表現の難しさの2つに原因を見つけました。
解決しやすいのは、丁寧な言葉を使うことなのですが、問題が起きるかどうかは「人との距離感」ではないでしょうか?
というのも、「知らない人」は挨拶を交わす程度の間柄なので、一方的に家庭のことに踏み込まれる筋合いはないからです。
理不尽なことには大きな反響が待っている現代
ポテサラ論争の男性にとっても、ネットに広がって、テレビで有名人にコメントをされるとは思ってもいなかったことでしょう。
理不尽なことには、「いつか」「同じくらい」の反響が返ってきます。
SNSが発達した現代では、「すぐに」「思いもよらない」反響が返ってきます。
それは、人の命を奪ってしまうほど大きく、コントロールできないものです。
1人に向けた理不尽のない言葉が、何10万人からの反論として返ってくる。
生活を壊してしまうことも、命を奪割れてしまうこともあるリスクがあると、知っていた方がいいですよね。
初対面の人はお客さんだと思って接する
先日取り上げた、橋下徹さんの本で、「年齢を問わず敬語」で話しかけ、丁寧な応対をされることがトラブルを防ぐ方法と書かせていただきました。
ポテサラ論争や自粛警察は、知らない人のプライベートに踏み込んでしまいトラブルが起こってしまいました。
スーパーやコンビニの店員さんが初対面の相手に、「彼女はいるの?」「旦那さんにはもっと家事をさせないと」と話しかけることはないでしょう。
初対面の人は、挨拶程度の距離感で、お客さんだと思って敬語で丁寧な応対が合っているんだなぁと思う出来事でした。