心は本来きれいなもの
今回はちょっと深いテーマ「良い人」「悪い人」と「心」の奥のお話です。
最近の凄惨な事故や、日常の中で見かける迷惑行為の原因を仏教の本を参考に考えてみます。
凄惨な事故、日常の中での迷惑行為、パワハラにブラック企業…世の中は悪い人だらけ?
池袋高齢者ドライバー暴走事故、酔っ払っての暴言や暴力など世の中には「悪い人がいるなぁ」と思える出来事が多いですよね。
事故の加害者や事件の犯人は、自分勝手な言い分をする方がほとんど。
誰かを傷つけ、悲しませている人の言い分は聞きたくなくなることもあります。
根っからの悪人とは?
事故の加害者や事件の犯人は、本当に自分勝手な行動で人を悲しませていますよね。
そこで、悪い人の中でも「根っからの悪人」はいるのかなと考えてみました。
答えは、事故や事件を起こした時点で「根っからの悪人」になっている人はいます。
では、その人はずっと「根っからの悪人」だったのでしょうか?
それは、違うと思います。
人間の心の奥は本当はきれい
この世に生まれた赤ちゃんの時点で悪人の人はいないでしょう。
同じように、大人になって暮らしている人の中で「悪いことを全くしない」人もいないでしょう。
今まで読んだ仏教の本の中に、「人間の心の奥は本当はきれい」と書かれているのを見かけます。
きれいな心が汚れで覆われている
自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)
典籍:「宝性論」
人間の心は本来清浄なのに、いろいろな欲により、本来の清浄さを覆ってしまうのです。
清らかな水が数滴の汚れた泥水で濁ってしまうように、清らかな心もわずかな欲望により、その清らかさが隠れてしまうのです。
たとえば、意地悪な心や人よりも勝りたいという欲求、妬み、羨み、怨み、怒りといった数滴の汚れた想いで、心の清らかさが濁ってしまうのです。
出典:鳥沢廣栄『超訳 仏教の言葉』p26〜p27
『超訳 仏教の言葉』悩み事相談のお坊さん厳選の仏教用語〜実用編 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ
誰もが生まれ持っていたきれいな心も、ほんのわずかな汚れだけで曇ってしまう。
幼い頃からの成長を辿ってみると、物心がつく前から身の回りのおもちゃや食べ物を渡したくないと「執着」が生まれる、
物心がついてからは、ふとしたことでしてしまった怒られる場面で嘘や取り繕いを覚える。
道端に落ちている小銭や自動販売機のお釣りのネコババも、「ちょっとだけなら」が行き過ぎると万引きや窃盗につながる。
この「ちょっとだけなら」の線引きも難しいですよね。
もちろん度がすぎると犯罪になりますが、「ちょっとだけなら」の嘘や陰口でも簡単に周りの信用は失われます。
人の心はいい面が表に出たり悪い面が表に出たりする
四無量心(しむりょうしん)
典籍:「維摩経」「選択集」
人間には美しい心が本来の的に備わっています。
それは、「慈しみの心」「悲しみを理解する心」「喜びを分かち合う心」「こだわりを捨てる心」です。
この四つの美しい心が無量にあることを、四無量心といいます。
中略)
ところが、逆の心も持っているのが人間の厄介なところです。
あなたの憎しみは、慈しみの心の裏返しです。
蔑みは悲しみの心の、妬みは喜びの心の、こだわりは捨て去る心の、裏返しなのです。
本来持っている美しい心の裏側が出てしまっているだけなのです。
あなたの真実の心は、「慈・悲・喜・捨」の四つの美しい心であることを忘れないでほしいものです。
出典:鳥沢廣栄『超訳 仏教の言葉』 p148〜p149
『超訳 仏教の言葉』悩み事相談のお坊さん厳選の仏教用語〜実用編 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ
大人になるにつれて、汚れてしまう心の奥にはきれいで美しい心が隠れている。
4つの美しい心、「慈しみの心」「悲しみを理解する心」「喜びを分かち合う心」「こだわりを捨てる心」が表に出ている人もいます。
4つの美しい心のうち、いくつかが表に出ている人もいます。
4つの美しい心のうち、全てが表に出ない人は、世の中ではあまり受け入れられないことも多いでしょう。
そして、1つ1つの心には、もちろん「程度」もあります。
「慈しみの心」が6段階の4番目で平均より1つ上くらいの人は、「優しい方、5番目の人は「とても優しい」といわれるようにです。
さらに、反対の心「憎しみ」「蔑み」「妬み」「こだわり」が表に出ることが多い人、実際にこの心のままに行動してしまう人が「悪い人」といわれるのではないでしょうか。
私たちの心を曇らせている煩悩への対策
心の奥は本当はきれいな人間、その心を覆い隠してしまう行動には原因があって、仏教の考えでは既に対策もされているようです。
心を曇らせる六大煩悩(ろくだいぼんのう)
煩悩のおおもとを成すものを根本煩悩(こんぽんぼんのう)といい「貪(とん、むさぼり)・瞋(しん、いかり)・癡(ち、無知)・慢(まん、慢心)・見(けん、悪見)・疑(ぎ、真理を疑うこと)」の六種類があります。これを「六随眠(ろくずいめん)」といいますが難しい字なので「六大煩悩」と覚えましょう。
出典:名取芳彦『えんま様の格言』煩悩事典 p82〜p96
108個の煩悩と心の仕組みを知る、『えんま様の格言 心の天気は自分で晴らせ!』名取芳彦 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ
108個ある煩悩の元になっている大きな煩悩は、根本煩悩(こんぽんぼんのう)と呼ばれています。
煩悩を取り上げた名取芳彦さんの『えんま様の格言』では、六大煩悩(ろくだいぼんのう)と呼ばれています。
①貪(とん、むさぼり)〜必要以上に物事を求める心
②瞋(しん、いかり)〜強い怒りの心
③癡(ち、無知)〜どうすることにもできない世の中の常識を知らない
④慢(まん、慢心)〜周りを見下す自惚れの心
⑤見(けん、悪見)〜正しい考え方ができない
⑥疑(ぎ、真理を疑うこと)〜周りや世の中を信用しない
たとえば、池袋高齢者ドライバー暴走事故の加害者の方を例えると、病気や怪我で起きた体の衰えを受け入れず車を運転した原因は③癡(ち、無知〜どうすることにもできない世の中の常識を知らない)に当てはまります。
さらに、家族や医師の意見を聞かなかった原因は④慢(まん、慢心〜周りを見下す自惚れの心)に当てはまり、危険なことはわかっていても運転を続けた理由は①貪(とん、むさぼり)〜必要以上に物事を求める心)で起こる「こだわり」が当てはまります。
極端な例えで、交通事故の加害者の方を例にあげましたが、もちろん私自身にも、こうして読んでくださる読者さんにも当てはまることです。
心を掃除する方法
厭障観(えんしょうかん)
典籍:「四教犠註」
「厭障観」は、投げやりな人生観ではなく、覚りへ至るための瞑想法の1つなのです。
具体的には、人間の2つの厭うべきことを思い、それを捨てるという瞑想法です。
1つには、人間の本性は煩悩に覆われていることを思います。
本来、私たち人間は清浄たる魂を持っています。
しかし、それが様々な欲望や煩悩により汚されているのです。
中略)
次に、人間は肉体に縛られていることを思います。
人間は生きているうちは肉体から離れられることができません。
絶えずわ肉体の欲求や痛みわ苦しみに悩まされます。
その欲求や痛み苦しみを厭い、捨て去るのだと瞑想します。
中略)
ほんのひと時でといいのです。
大きく息を吸って、ゆったりとしましょう。
そして、自分と心に溜まった欲望や妬み、憂い、怒り、羨みといったゴミを捨て去ると思いましょう。
1つ1つゴミ箱に捨てるのです。
心が軽くなったなら、身体から心を離してみましょう。
たまには、心を解放してみるのもいいのではないでしょうか。
出典:鳥沢廣栄『超訳 仏教の言葉』 p30〜p31
『超訳 仏教の言葉』悩み事相談のお坊さん厳選の仏教用語〜実用編 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ
煩悩は、私たちが生きている限り0(ゼロ)にすることはできないでしょう。
それでも、原因を理解して、少しでも減らそうと考えて、実際に欲望を減らしていく。
特に、「こうしなければ」というこだわりがある方や、「やりたいことが多い」方にはお辛いことでしょう。
例えば私は、Blogやクラウドソーシング、読書とアウトドアを除いて「やりたいことが多い」趣味をほとんどやめてしまいました。
やめた当時は、なんだか物足りなさを感じることもありましたが、1年2年と過ぎると、少しずつ慣れ、代わりにすることも見つかりました。
話がズレてしまいましたが、交通機関ではなく「車を運転しなければ」と思い行動するこたが事故の原因になります。
「あいつばかり出世して」という妬みは、陰口を言ったり、嫌がらせをしてしまう原因になります。
私たちに悪い心を起こさせる煩悩は、少しずつでも減らしていかなければなりませんね。
やっぱり極悪人はいる?
「元々きれいだった心が煩悩のせいで汚れてしまう」
そう言ってしまうと、凶悪殺人を起こしたり、多くの人を悲しませた極悪人も元々はいい人なの?ということになってしまいます。
事件を起こしたり、人を悲しませた時点では「極悪人」なのは間違いありません。
それでも、生まれて間もなかった頃は………心きれいな「いい人」だったのではないでしょうか?
もちろん、元々がきれいな心があるから「罪はない」というわけではありません。
心の罪、それを決めるのは、仏様や神様のお仕事でしょう。
事件を起こしたり人を悲しませた時点で「極悪人」の人は、人の作った法律で裁かれるべきで、社会的な功績や年齢を理由に刑罰を軽くするのはおかしなことと思います。
煩悩から生まれた欲望で曇った心
私たちの心は、本来きれいなものといわれています。
それは、煩悩がほとんどない生まれて間もない赤ちゃんがきれいに見えて、大人になるにつれて自分に都合のいい行動を取ったり、他の人を貶めたりすることからもわかることです。
煩悩が覆い被さって、くすんでしまった私たちの心。
それは、大気汚染で霧がかかったように見える景色と同じでしょう。
大気を汚さないよう、煩悩のままの行動を減らしていかなければなりませんね。
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