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浄土宗・浄土真宗で大切にされているお経 四誓偈(しせいげ)を私訳してみると…

お経 浄土宗

著者 藤井正雄
出版社 株式会社 講談社
分類 思想と哲学、考え方の本
出版日 1983/7/1
読みやすさ ☆★★難しい

今回は、仏教の本の中でも「ちょっと難しい」本の紹介になります。

内容を全て紹介させていただくのは、とても難しいので、お経の「原文」「現代語訳」を引用させていただき、花水(hanami)独自の「私訳」で物語風にまとめさせていただきますね。

浄土経典とは?


浄土経典は、お釈迦様が説かれた教えの中で、阿弥陀如来の極楽浄土の教えがまとめられたお経です。

お経は『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』、『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』、『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』の 3つがあり、浄土三部経(じょうどさんぶきょう)と呼ばれています。

浄土三部経は、日本国内の仏教の宗派の中で浄土宗、浄土真宗時宗で大切にされているお経です。



浄土経典の珍しい解説書

本の構成

まえがき
お経の由来と浄土宗の経典 p2〜p179
浄土宗のお経 p6〜p179
法然上人と浄土宗 p 182〜p209
仏事の基礎知識 p212〜p254
あとがき

構成は、ほとんどをお経の原文と解説で占めています。

取り上げているお経には、ふりがな付きの「漢文」、日本語訳、現代語訳が書かれていて、所々に仏教用語の意味と由来が書かれています。


読みやすさ

初版が1980年代でもあり、読みやすい本とはいえません。

どちらかというと、仏教の専門家の方、仏教を勉強されている大学生の方向けに感じます。

有名な『般若心経』の他は、お経の原文現代語訳を同時に読める本は、多くはありません。

お経を実際に読んだり、写経をされる方。

ご自分の宗派の正しい知識を持ちたい方には、正確な情報が書かれている本です。



浄土宗で大切にされている阿弥陀さまの宣言、四誓偈(しせいげ)

四誓偈(しせいげ)とは?

「おつとめ」のなかで最もよく拝読される「四誓偈(しせいげ)」は『無量寿経(むりょうじゅきょう)』の巻上にある五言四十四句からなる喝文です。前の「(たんぶつじゅ)」にひきつづき法蔵菩薩が師の世自在王仏のみ前で誓われた四十八願を述べたその結びとして説かれているものです。

p166〜p167


四誓偈(しせいげ)は、仏様の中でも有名な阿弥陀如来が語られた「願い」を要約したお経です。

舞台は、お釈迦様が現れる遥か昔のインドとされています。

インドと限定してしまうと、「そんなに古い時代に人類は生まれていない」となってしまいます。

現代的な解釈では、「地球の文明以外の宇宙のどこか」とされているようです。

阿弥陀如来もお釈迦様のように、出家をされて法蔵菩薩として修行を積んでから、悟りを開いて如来になられたとあります。

『仏説 無量寿経』では、修行時代の法蔵菩薩(阿弥陀如来)が師匠の世自在王仏に48の願いを立てて苦しむ人々を全て救う方法と場所「極楽浄土(ごくらくじょうど)」を作り上げたとあります。

阿弥陀如来を信仰する浄土宗では、『仏説 無量寿経』を要約した四誓偈(しせいげ)を読み上げたり、写経することで、阿弥陀如来が救って下さることを多くの人々に広めています。



四誓偈(しせいげ)の現代語訳

仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』四誓偈(しせいげ)

我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚

我於無量劫 不為大施主 普済諸貧苦 誓不成正覚

我至成仏道 名声超十方 究竟靡不聞 誓不成正覚

離欲深正念 浄慧修梵行 志求無上道 為諸天人師

神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難

開彼智慧眼 滅此昏盲闇 閉塞諸悪道 通達善趣門

功祚成満足 威曜朗十方 日月収重暉 天光隠不現

為衆開法蔵 広施功徳宝 常於大衆中 説法師子吼

供養一切仏 具足衆徳本 願慧悉成満 得為三界雄

如仏無礙智 通達靡不照 願我功慧力 等此最勝尊

斯願若剋果 大千応感動 虚空諸天人 当雨珍妙華

私は世に勝れた四十八の本願を立てた。
必ず仏となって、この上ない悟りを得るであろう。
もし本願の一つでも欠けることがあれば、私は誓って仏にならない。

私は未来永劫にわたって大施主となり、知恵も財力も貧しい人々を救済することができなかったならば、私は誓って仏にならない。

私が仏道を成しとげて仏となったならば、私の名声は十方の世界の隅々にまでゆきわたるであろう。
もし私の名声が及ばない所があれば、私は誓って仏にならない。

私は欲望から離れ、深く正しい心をもち、けがれなき浄らかな智慧によって菩薩の行を修め、この上ない悟りを求めて、天と地との多くの人々を導く師となろう。

不思議な力をもって大いなる光を放ち、一切の世界をあまねく照らすであろう。
この光明は貪りと怒りと愚かさとの迷いを除いて、広くすべての厄難を救うであろう。

人々に智慧のまなこを開かせて地獄、餓鬼、畜生の世界に通ずる道を閉ざし、善き世界の門に人々を至らせよう。

私は仏となって、その威光を十方に輝かすであろう。
その威光の前には、太陽や月の光は輝きを失いわ天の光も隠れてしまうであろう。

私は人々のために仏法の蔵を開き、広く功徳の宝を施し、常に大衆の中にあって説法し、獅子吼するであろう。

また一切の仏を供養し、多くの徳を備えて、本願と智慧とをことごとく備え、この迷いの世の導師となるであろう。

仏の智慧は何ものにも遮られることなくや一切に及び一切を照らしているように、願わくは私のすぐれた力もまた、仏のものと同じでありたい。

私のこうした願いがついに果たされるならば、天地は感動して、虚空の天人な妙なる花を雨降らすであろう。

p54〜p61

四誓偈(しせいげ)をお経のまま読むと、とても難しいですよね。

現代語訳で読むと、阿弥陀如来の暖かい願いに触れることができます。



阿弥陀如来の四誓偈(しせいげ)を私訳してみる


今回、取り上げさせていただいた「四誓偈(しせいげ)」を伝わりやすくするため、阿弥陀如来さまが「幸せの国(極楽浄土)」を建国する設定で私訳させていただきますね。


阿弥陀如来さまの「幸せの国宣言」

舞台は、私たちが暮らす現在の地球のような文明。

幸せな出来事も多くありますが、貧しさや、覇権争いの戦争、自然災害もある世界。

自分だけではなく周りの多くの人が、感情をコントロールすることが難しく、人間関係に悩む世界。

そんな世界を救おうと、1人の仏様が立ち上がります。

仏様の名前は阿弥陀如来

集まった多くの民衆の前で、人々に幸せを約束する場面は、商店街のテレビ、スマホの動画、発展途上国で人々が集まるラジオ、戦闘機の無線機から同時中継で人々の知ることになります。

幸せの国、国名は極楽浄土


世界全ての幸せを約束する宣言


お集まりの皆さん!
そして、中継をご覧の世界中の皆さん!
どうか少しばかり、私の話に耳を傾けていただきたい。

阿弥陀如来は、全ての人が幸せになれる47の公約を立てました。
皆さんが幸せになれる世界を作り、必ず!皆さんを導く存在、仏にになることを約束します!
もし、公約の1つでも守れないことがあるなら、私は仏にならないことを誓います。

これから先、ずっと永遠にわたって、皆さんを幸せになれる世界へ案内しましょう。
幸せになれる考え方を持つことができない方、経済的に恵まれない方を救済することができないなら、私は仏になりません。

私が描く理想の世界が完成し、皆さんが幸せに満ち溢れるようになれたなら、私 阿弥陀如来の名前と理想の世界は宇宙全てに知られるはずです。
もし、私の作り上げた世界を知らない地域があるなら、私は仏になりません。

私自身も、欲望を持たず、世の中を深く正確に見ることができる考えを持つことで、修行を完成させます。
苦しみ、悩まれながら暮らす宇宙の人々、これからの宇宙全てで暮らす人々の導く存在になりましょう。

物理や科学力を超えた持って、宇宙全ての人々の助けになりましょう。
この力は、欲望から生まれる貪りと怒りと愚かさを全て取り除く効果があるのです。

人々に幸せを感じられる考えを伝え、苦しみや飢え、闘争本能につながる生き方を見直してもらうことで、全ての人々が幸せになれるのです。

わかりやすく実践しやすい私の考えは、宇宙全てに広まると確信しています。
それは、欲望を一時的に満たすことと比べ物にならないほど、満ち足りた気持ちを持つことができます。

そして、難しいと言われる仏教の考え方を皆さんと同じ目線で伝えてゆきたい。

そのためには、数えきれない仏教の教えを身につけて、欲望のコントロールが上手くいかず、迷い、苦しむ人々を導いてゆきたい。

仏教の考え方を身につけると、身の回りで起こることに幸せを感じることができる。
阿弥陀如来の作り上げる世界は「極楽浄土」といいます。
極楽浄土では、訪れた全ての人々が幸せになれる考え方を身につけることができます。

私の誓いが果たされたとき、宇宙全てが幸せに包まれます。
さあ、私とともに極楽浄土で果たそうではありませんか、全てに幸せを感じられる世界を!



難しいお経も現代語訳を読んでみると意味がわかる


今回は、お経のお話をさせていただくため『お経 浄土宗』を紹介させていただきました。

この本が手元にあったのは、私のご先祖の菩提寺が浄土宗だからでもあります。

小さい頃、法事で親戚の家に行くと、今は亡きお坊さんが響きのいい声でお経をあげている後ろ姿、優しく声をかけてもらった思い出があります。

仏教や仏様のお話が今でも好きなのも、その頃の思い出があるからなのかもしれません。

もし、私訳が間違っていたら、怒られてしまいそうですね。

ですが、こういう意味で大きく間違ってはいないのだと思います。


参照:
布教師会_会長法話 | 総本山知恩院

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