自粛という言葉のひとり歩き
例年なら楽しみのGWですが、ステイホーム週間が続いていますね。
今日は少しの愚痴も交えて、花水(hanami)にしては少々辛口でお話しさせていただきます。
4月は自粛の春
4月は、イベントやレジャーの自粛にはじまり、外出自粛、買い物自粛と私たちの暮らしが窮屈になるほど、毎日の暮らしに影響が出ました。
ここまでくると、労働自粛と納税自粛もすすめたいのですが………。
自粛ってそもそも「自らすること」
世の中では、いろいろなことが自粛されています。
東京や大阪では、パチンコ屋さんの営業自粛が求められ、物議を起こしていますね。
これが「強制」なら、警察官を出動させたり、何かしらの罰則を与えて行動を制限できます。
ですが、あくまで「自粛」なんです。
自粛というのは、「自分から進んで自分の言動を慎む」とあります。
自粛するかどうかを決める権利があるのは、あくまで自分なんですね。
強制してもいいから補償をして
営業自粛や外出自粛を要請されても、従う人と従わない人がいるのでは、どうしても不平等です。
飲み会に行きたい人は、行っても罪に問われませんし、コロナになっても病院で断られることはありません。
パチンコ屋さんも、風評被害よりも営業利益の方が大きければ、営業した方が得をするわけです。
パチンコをされる方の自分勝手な理由も取り上げららていますが、そういう考え方の人は自分なりに判断して「別にいいか」と思うのでしょう。
自分勝手な理由で遊び歩く人もいる一方、休みたくても働かないとならない医療関係・介護関係の方、流通業の方、お店の販売業の方、電気や通信関係など「休めない」方は仕事の負担も増え、いわれのない差別を受けています。
法律を変えて強制したり、「自粛をするメリット」がないと、真面目な人ほど損をしてしまいます。
日本で罰金や封鎖ができないのなら、自粛をしていない方は外出先で氏名の記録を義務にして、新型コロナに感染した場合の「治療費は全額自己負担」にする「外出のデメリット」が必要です。
自粛をするメリット、例えば外出自粛をした家庭には、デリバリーを優先して使えるなどでしょうか?
「あいまいさ」は逆効果
自粛という言葉も、本来の意味から外れているように思えます。
「外出自粛を守らない」「営業自粛に従わない」と報道されていますが、自粛である以上、判断するのはその人自身です。
私の勤務先でも、県外への旅行や帰省は会社に書類を提出して役員会で一括審議をするようになり、「原則自粛」という言葉が使われています。
原則自粛という言葉通りなら、審議をするのは矛盾しているように思えます。
日本全国で自粛という言葉の持つ「あいまいさ」が、本来の意味から外れて使われてくるようになったと思えてなりません。
緊急事態では、日本国内では暮らしの中に馴染んでいた「あいまいさ」は、判断を迷わせ、違った意味で使われる逆効果になっているのではないでしょうか?
それでも時間は進んでゆく
新型コロナへの不安、自粛のストレスが多い春ですが、季節は変わり時間は進んでいます。
楽しめる夏が来るように、今は我慢を続けるしかないのでしょうね。