寛容さと曖昧さ、常識と格差の広がり
ニュースで見かけた「平服でお越しください」の話題を調べてみると、常識と格差はお互いが分からないほど広まっていたことに気がついてしまった花水由宇(hanami yu)。
解決策を思いつくことは、はたして……できるのでしょうか?
「あいまい」=寛容さと曖昧さは日本のメリットとデメリット
スマートニュースで冠婚葬祭の「平服でお越しください」という注意書きを読んだ方が、普段着で結婚式に参加され恥ずかしい思いをされた体験談を見かけました。
また、公園の近所の方が「子どもの騒ぎ声がうるさい」と自治体へ苦情を伝えると、公園が廃止になるニュースも話題になっています。
【波紋】“子どもの声うるさい”公園廃止 苦情の住民「決定びっくり」 長野市「苦渋の決断」|FNNプライムオンライン
もしかすると、どちらも日本独自の「あいまい」という価値観にあると思ったんです。
「あいまい」のメリットが寛容でデメリットが曖昧
日本独自の「あいまい」のメリットは「寛容」、デメリットは「曖昧さ」なのではないでしょうか?
「あいまい」のメリット=寛容
「あいまい」のメリットは「寛容」、「常識」を守っていれば細かなことは大丈夫ですよという価値観ではないでしょうか。
例えば、結婚式の「平服でお越しください」は男性の服装ならスーツにネクタイ、女性の服装ならワンピースやパンツスーツなら生地の素材や服の値段までは指定しませんよという寛容さがあります。
公園も、早朝や夜中に騒ぎ声を上げたり、花火を打ち上げたりしなければ良かったはずです。
「あいまい」のデメリット=曖昧さ
「あいまい」デメリットは「曖昧さ」、「マナー違反」の幅の広さが取り上げられます。
同じ結婚式でも、新郎新婦の友人がきらびやかな服装で集まる場合、ラメ入りのパンツスーツでも違和感はないでしょう。
一方、親戚や職場の上役が和服やダブルのスーツで揃う場合、きらびやかな服装は「派手すぎる」と後で注意を受けるかもしれません。
公園の話題でも、子どもたちの遊ぶ午後の時間が近所の方の夕食の時間なら「うるさい」と苦情が上がるかもしれません。
常識の範囲が広がり過ぎた?
日本独自の「あいまい」の価値観は、なぜ今まで通用していて、最近になって問題になっているのでしょう?
ふと、「常識の範囲が広がり過ぎた?」と思うことがあります。
常識を巡ってのトラブルは、中高年の方と子育て世代の対立が話題になることがあります。
かつての常識=世の中の多くが理解できた
昭和後半から平成前半は、2世代や3世代の同居が多く、違う世代の暮らしを「見て」「知る」ことができました。
子どもたちが楽しいことをすると大きな声が出ることも、お爺ちゃんお婆ちゃんが早寝早起きなことも、お互いにとって身近でした。
違う世代の方が近くにいると、常識というものは共有しやすかったはずです。
今の常識=生活スタイルで範囲が広い
平成後半から令和にかけては、働く世代の親と子ども、ひとり親家庭、子どものいない夫婦、ひとり暮らしの方、夫婦のどちらかが旅立たれた中高年の方と様々です。
働く世代の親と子どもの暮らしでは、日中は親は仕事、子どもは保育園や幼稚園で過ごし、夜になってから家族団らんの時間が訪れます。
また、平日勤務土日祝日の働き方から、不規則勤務に変わった現代では、平日の昼間に親子が外で遊ぶことも当たり前でしょう。
常識は生活スタイルで違いがあり、全てをひとくくりにできないほど範囲が広くなっています。
上級国民の炎上問題と同じく、格差が原因?
話題は変わってしまいますが、コスパ抜群の外食チェーン「サイゼリヤ」を巡り、度々炎上騒動が起こっています。
「サイゼリヤ」のメニューや利用客の話題でネガティブな発言をすると、非難が殺到しSNSやコメントが炎上してしまう騒動です。
掲載されていたニュースでは、格差が原因にあげられています。
「もはやネット界の火薬庫」SNSでサイゼリヤをdisった人が百発百中で火だるまになるワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
豊かな人はぎりぎりの暮らしが「分からない」
サイゼリヤの騒動に限らないのですが、コスパの良い商品を「安っぽい」と発言したり、リーズナブルな飲食店を「マズい」と言うのは、発言した個人の意見です。
「自分にとっては」という意見を込めていても、普段からコスパの良いお店を利用している方にとっては、マウントと受け取られてしまいます。
なぜなら、コスパの良い商品を「安っぽい」、リーズナブルな飲食店を「マズい」という意見は「自分は質のいいものを買える」と言っているように聞こえてしまうからです。
ニュースのように、格差が原因なら、ランチで4000〜5000円も使えるほど収入の豊かな方は、普段の昼食は500円以内に抑え、1000円のランチを楽しみにしている方の暮らしが「分からない」のでしょう。
ぎりぎりの暮らしの人の方が多数派
度々起こるマウントや失言は、情報が拡散されるネットの世界では一斉に非難を受けます。
なぜなら、豊かな暮らしの人は少数派で、私も含め多くの方はぎりぎりの暮らしをしている一般市民だから。
厚生労働省が2020年の収入調査を行ったところ、平均収入437万円以下の割合が61.1%という結果が明らかになっています。
【2022年最新版】日本の年収の中央値は437万円!中央値と平均は何が違う? | 転職サイト比較Plus
収入の豊かな人の方が人数では少数派なので、何も分からず失礼と思われる発言をするとたちまち「多数派に叩かれる」ことになります。
ちなみに平均収入に近い私の暮らしは、贅沢をしなければ衣食住には困らず、日々節約を続け、貯金は僅かで、趣味は手ごろなキャンプ、海外旅行はもちろん長期間の国内旅行は厳しい暮らしです。
それでも、幸せを実感できるのは、衣食住に困っていないからでしょうか。
解決方法は「知ること」
常識の違いも、収入の格差で起きるトラブルもお互いのことを「分からない」ことが原因に思えてしまいます。
多様性が広まり、常識が通じ合わないほど分からなくなってしまったようです。
収入の格差が広がり、お互いの生活事情が分からないほど違いが生まれてしまいました。
それなら、解決方法はお互いを「知ること」ではないでしょうか?