現代の方がわかりやすい仏教の教え
インターネットで世界中の人がつながり、仮想通貨や電子書籍のように「形のない」資産や価値観が広まった現代。
こういった形のない資産や価値観は、現代の私たちは身近に実体験できることですが、2000年以上前から伝わる仏教の教えの基本にも共通するところがあります。
仏教とインターネット
こうしてネットでブログを更新しながら、仏教の本を読んでいると、仏教の教えをインターネットの仕組みで例えるととてもわかりやすいと感じることがあります。
それは、仏教の考え方はどんな時代にも当てはまるように考えられたからかもしれませんし、仏教の考え方を応用した誰かがネットの仕組みを開発したからなのかもしれません。
2000年前にお釈迦様が広められた仏教をネットの世界で例えてみます。
変化が早い時代だからわかる「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
1つ目は、諸行無常という世の中の変化を知りましょうという考え方です。
諸行無常の教え
「諸行無常」とは、「この世の全ての現象や存在は、常に変化している」ということを意味しています。
数ある仏教思想の中でも、特に有名なものですね。
初期経典では、主に「生あるものは必ず死する」ということを中心に「諸行無常」を説いていますが、大乗経典になると、先ほどの意味に解釈されていきます。
そう、世の中は絶えず変化しているのです。
『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』鳥沢廣栄 p90
国語の授業で、聞いたことのある諸行無常。
私たちの暮らす、この世「全て」の存在や現象は変化を続けているという教えです。
私たちの体は、細胞が入れ替わっていますし、経済は国内だけでも目まぐるしく変化しています。
私たちのお財布事情も、消費増税でだいぶ変化していますよね。
諸行無常はまさしく現代の世の中
世の中にある全てのものが変化している、私たちは身近に感じることができますが、別の時代ではどうでしょう?
例えば、江戸時代は平均寿命も短く、安定した時代が続きました。
日々の暮らしで生計を立てる一般の方にとっては、変化は実感しにくいものだったのかもしれません。
身の回りの物だけでも、固定電話が子機と呼ばれるワイヤレスの電話になり、携帯電話が普及したかと思うとスマホに変わりました。
私が子どもの頃は、事務仕事というと帳簿に手書きで書類を書き上げる場面を思い出しますが、今はパソコン。
今後は、事務仕事はAIのものになるとさえ言われています。
書類がパソコンになると囁かれていた時代には、契約書や申請書類は手書きのままだろうと言われたそうですが、現実にタブレット画面やオンラインで行われるようになりました。
まさかと思うことが近い将来現実に起こる、まさに現代の世の中が諸行無常なのでしょう。
実体がないものが身近にあるから「空(くう)」が理解できる
2つ目は、空といわれる物事には実体はないという考え方です。
空(くう)は実体にこだわらない教え
「空(くう)」は、般若心経に書かれている仏教の基本になる教えです。
基本になる教えでもあり、最も難しい教えとも言われています。
なぜなら、空を全て理解できたら悟りが開けるからと伝えられているからです。
まとめると、私たちの目の前にある物事は私たちが感じた感覚、印象、価値観の受け止め方で変化する実態のない物事。
目の前にある物事や、1つの考え方だけにこだわるのはやめましょうという教え、そう私は理解しています。
般若心経の原文、超訳、私訳はこちら意味わかりずらいお経〜般若心経の「超訳」を読んで「私訳」してみる - 本当に本が読みたくなる読書のブログにまとめていますので詳しく知りたい方はご覧くださいね。
仮想○○で例えてみる
目の前にある物に実体はない。
人工知能のAIや仮想現実のVRが発達した現代の私たちは、この言葉の意味を実体験で理解することができるでしょう。
例えば、江戸時代にお金儲けばかりに目が眩んだ方に、お金儲けばかりにこだわるのはやめなさいと伝えるとしましょう。
「お金は実体のないものなのですよ」
「それは、何故ですかい?」
「良いですか、お金は物を買って無くなってしまう。買ったものも、壊れたり古くなり価値がなくなるものです」
「その前にワシの命の方がなくなってますわ、ははは」
「それはだなぁ、つまり」
とても根気よく説明しないと、目の前にあるものが無くなってしまうという体験を説明するのは難しそうです。
現代では、どうでしょうか?
「お金は実体のないものなのですよ」
「それは、何故ですかい?」
「仮想通貨バブルをご覧なさい。100万円が突然100円になってしまうではありませんか。お金や物ではなく、あなたの大切にする人との時間を大切に過ごすといいでしょう」
実体験があって例えれる分、説明が伝わりやすいように思えます。
仏教が先でインターネットは後
現実にそこで暮らしていなくても、人と人がつながるインターネット。
インターネットの空間は、街の面積のように㎡や東京ドーム何個分で表すことはできません。
1つの大きなコンピュータではなく、各地にあるコンピュータが繋がって作り出された空間。
そこでは、情報はどこかにあって、物事の価値は急に高くなったり、突然0に近いほど見つけることができなくもなる。
インターネットがなかった時代の方はもちろん、利用している私たちでも説明は難しい仕組み。
なんとなく現実で、なんとなく現実にはないような世界。
もしかしたら、仏教の教えからヒントを得た誰かが思いついたことなのかもしれませんね。