エッセイはなぜ人生におすすめの本?
突然ですが、エッセイはなぜ読むのでしょう?
随筆とも呼ばれ、平安時代からあるエッセイ。
当時の日本人の方も、著書が暮らしの中で思うこと、心の中の思いが綴られたエッセイを楽しみに読んでいたことでしょう。
人生のお手本におすすめと言われているエッセイ。
今回は、エッセイを読むメリットを考えてみましたよ。
エッセイは他の人の体験と考えを分かち合える本
「エッセイは人生におすすめの本」
こんなことを言うために、エッセイについて考えてみました。
エッセイは、全く接したことのない人の体験を通して、考え方を分かち合うことができる。
そう、思えるからです。
また、こう思います。
それなら周りの人から得られないかな?
そちらの方がエッセイを読むよりも、難しいのではないでしょうか?
私がまだ社会に出ていなかった頃のような、人と人との距離が近かった頃に比べて………
エッセイは人の心を覗ける
エッセイって?
エッセイは「随筆」や「散文」と呼ばれ、日本国内でも古くからある作品の1つ。
著者が経験した、体験に対する考え方や思いを綴った文章です。
日本での歴史も古く、清少納言の『枕草子』は当時では少々破天荒な人生を歩んだ清少納言が家族関係や、勤務先で経験した出来事を語っている作品。
コラムとエッセイの違いは「テーマ」と「視点」 - 本当に本が読みたくなる読書のブログでコラムとエッセイの違いを書かせていただいたように、エッセイのテーマは「自分の体験」。
実際に経験したことや、思い描いたことを「自分視点」で語った作品がエッセイといわれています。
エッセイは「人」の心を覗ける
エッセイというのは、なにか特別なテーマがあるわけではない。
思いついたことや体験したことをつれづれに書く、という文章だ。
他人のそういう情報に価値があるのか、と疑っていたので、それまでに読まなかったのだが、作家を知っていれば、少しは興味が持てる。
たとえば、谷崎潤一郎の小説を何作か読めば、谷崎の日記を読める。
その人物を知っているから読めるのである。
中略)
遠藤周作とか北杜夫などが、当時のエッセイでは売れていた。
これくらいのものならば自分でも書けるな、とも感じたのだが、それは明らかな勘違いである。
まず、遠藤周作か北杜夫に匹敵するするほどの人物にならなければ、誰も読んではくれないだろう。
『読書の価値』第1章 僕の読書生活 p65
読書の価値観を探す 森博嗣さんの『読書の価値』より - 本当に本が読みたくなる読書のブログ
他の人の「体験」が著者自身の「視点」で語られるエッセイ。
私がエッセイを手に取るようになった頃から、既に多くの芸能人やスポーツ選手がエッセイを書かれていました。
有名人に関しては、プライベートがないほどですから、体験談はほとんど真実といってもいいでしょう。
有名人全員が、破天荒な人生を語られるわけでも、変わった考え方を書かれているわけではないと思います。
ほとんどが、その人が暮らしてきた中で体験したこと、出会った人、思いついたこと。
確かなことが語られているエッセイは、人の心の中を覗ける貴重な本だと思いますよ。
本当の体験や価値観、上手く伝えられる人は多くはない
こうしてブログで文章を書いている花水(hanami)もまた、「上手く伝えられない」多くの人の1人です。
体験や価値観は「本当のこと」が聞けるのでしょうか?
お互い大切にしている人たちの他に、「本当のこと」を語ってくれる人は多くはないはず。
働いている方なら会社の上司の方、学生の方なら先生や先輩。
今後のためにと誰かの体験を聞いておきたくなりますが、多くが「少し大げさにした」内容では?
中には全く体験したこともなかったり、思ってもいないことを語る人もいます。
本になっているエッセイなら、書いてある体験に信用はあるといっていいのではないでしょうか?
有名人の方は「信用」が大切ですし。
そして、話す言葉で「上手く伝えられる人」はほとんどわずか。
書いてある文章の方が、伝わりやすさは上がります。
出版社の方や多くの方が読んで、本になっているならなおさらです。
「素敵な出来事だなぁ」と思えたエッセイ
ここで、今まで行くつかのエッセイを読んだ花水(hanami)が「こう考えてみたいなぁ」とか「素敵な出来事だなぁ」と思えたエッセイを紹介しますね。
『しょせん幸せなんて、自己申告。』綾小路きみまろ
夫婦といえども、違っていて当たり前です。
お互いに、あまり求めすぎないことが肝心。
全ての他者は、思うに任せぬ存在です。
求めれば求めるだけ、苦しみとなって自分に跳ね返ってきます。
だから相手を変えるのではなく、自分の見方を少し変えてみるのです。
すると驚くほど楽になることは、世の中にたくさんあります。
中略)
見つめ合うことだけが、愛情表現ではありません。
「こうして」と要求ばかりするのではなく、「こうしてみない?」と提案してみる。
面と向き合うのではなく、隣に並んで、同じ方向を見つめてみるのです。
中略)
理想の夫婦像なんてものに惑わされてはいけません。
夫婦関係に開いた小さな穴は、ストレスをためないための通気口。
愛情も、少ししぼんだり、くたびれたりしているほうが、丈夫で長持ちするものです。
第4章 家族~愛と憎しみが紡ぐ小さな宇宙 「夫婦について」p102~p107
この「夫婦について」の内容だけでも、この本を読んで良かったと思えます。
仏教の本などによく書いてありますが、「自分の気持ちもコントロールできないのに、人の気持ちが思い通りになるはずはない」ということ。
綾小路きみまろさんも、「思うに任せぬ存在」と表現しています。
「こうして欲しい」と思うと、「なんで、こうしてくれないの!」と怒ります。
「これはやめて欲しい」と願うと、「なんで、やめてくれないの!」と悲しむことになります。
それなら、「何も思わなければいい」というところに行き着きます。
「何も思わない」と苦しむこともないのですが、相手への関心も薄れてしまう。
そこで、綾小路きみまろさんは、良い方法を教えてくれています。
それは、「こうしてみない?」と提案してみること。
横に並んで、同じ目線で一緒に物事に向き合ってみること。
横に並ぶわけですから、一方的に「こうしよう!」とはいきません。
相手が受け入れられない内容なら、譲り合うことも大切、受け入れることも重要でしょう。
こちらの方が、実は難しいのでは?と思います。
1つ、例えを思いついたのですが旦那さんと奥さん、彼氏と彼女がそれぞれ1つずつ容器(コップ)を持っていたとします。
容器(コップ)に満たされているのは、相手への想い。
お互いが一杯だと、これ以上想いは入りません。
ですが、長続きするためには、容器に一杯の自分の思いを少しだけ減らして、相手側の主張を受け入れるだけ空けてあげる必要があるんだなと思えましたよ。
『九十歳 何がめでたい』 佐藤愛子
「あの人に会いたい」というテレビ番組があれば、そうしてあの嘘つきドロボーの熊娘を探し出してくれるなら、テレビ嫌いの私でも喜んで出演するだろう。そうして彼女がどんなおとなになったかを見たいものだ。p147 思い出のドロボー(承前)
数十年前、佐藤愛子さんが言葉巧みに泥棒にあった話のようです。
泥棒は若い女性で、佐藤さんのような裕福な家庭に悲劇の女性を装って転がり込み金品を盗むことを繰り返していたそうです。
泥棒はその後逮捕され、親御さん方が僅かな金銭を持って謝罪に来た時のことです。
佐藤愛子さんは汚れた不揃いなお札を見て、娘のために苦労して集めたのだろうと思い受け取らなかったそうです。
読み始めてからは、世の中の泥棒や詐欺師に厳しい言葉をかける内容なのかと思いましたが違いました。
泥棒の親であれ親は親、娘を思う気持ちを汲んだ佐藤愛子さん。
やっぱり憎まれ口の書き口で本を書いていても、本心は暖かくて懐の深〜い方なんだなと感じますね。
そして、許すことが少なくなった世の中なのかなぁと思いました。
昔は近所の悪ガキが落書きをしたら、家のオヤジさんに怒られて必死に消して許してもらえたもの。
今では即慰謝料の請求に発展しますものね。
今までエッセイを紹介した記事を調べてみましたが、まとめていたり「雑記」で紹介していたり………
ちゃんと、「本の紹介」で取り上げたエッセイは少ないことに気づきました。
これからは、もっと丁寧に紹介させていただきますね。
エッセイを読む価値は人生のお手本に
もし、エッセイを読んで「こう考えてみたいなぁ」とか、「素敵な出来事だなぁ」と思えただけで、その人のエッセイを読んだ価値はあったのかなぁと思いますよ。
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