権利と自己主張
選挙が近づき反マスク運動にクラスターデモが活発化、名物議員まで現れる事態に…。
反マスク運動と鼻マスク議員
日本国内でも、「マスクをしない権利」を主張される団体 国民民主党の抗議活動が盛んになっています。
https://www.google.com/amp/s/news.yahoo.co.jp/amp/articles/0eba3dfbc486ef850b1f13637bccf38a8e75c078
問題になっているのは、人混みの中で「ノーマスクのまま大声」を上げての抗議活動です。
3密の真逆へ向かうスタイルは、クラスターデモと呼ばれ、人混みに集まる人でも嫌悪感で散り散りになるほどです。
また、大分県臼杵市議会に所属する市議会議員が鼻を出したマスクのまま発言を求め、その後もマスクを直さない「鼻出しマスク市議」騒動も続いてます。
https://www.google.com/amp/s/news.yahoo.co.jp/amp/articles/69b5a99761c5a301ee27fe92afaf96376ac686c8
こちらも、「マスクをしない権利」を訴えているのですが、「マスクをつけましょう」と決められたルールの中で訴えるのは場違いでしょう。
主張する内容は誰かに共感を得られることはあっても、TPO(時間:Time,場所:Place,:場合Occasion)を大きく間違っているのは明らかです。
権利の主張は相手の権利も考えて
「○○の権利」というように、相容れないことを拒む権利は誰にもあります。
ですが、「相手を不安にさせない」範囲で許されることではないでしょうか?
「マスクをしない権利」では、次のような理由でマスクをしないことが主張されています。
・アレルギーや感覚過敏などで着けられない
・マスクが息苦しく不快
・表情が見えない
もちろん、アレルギーや感覚過敏などはご自身ではどうにもならないことです。
「マスクをしない権利」の方は、主張通りで差し支えないでしょう。
「感染予防をしたい人」の権利は、「マスクをする権利」と「マスクをしない人を避ける権利」があります。
「マスクをしない権利」の方が、マスクをしない、着けられないのと同じくらい、「感染予防をしたい人」はマスクを着けたくて、さらにマスクをしない人とは距離を取りたいんです。
「感染予防をしたい人」がマスクをしない人とは会話をせず離れることも、無視や差別ではなくちゃんとした権利なんです。
嫌がらせや、いじめではないはずです。
なぜなら、「~の理由でマスクをつけられません」と言うことはできても、「マスクをしない人は近づかないで下さい」と言うと、「マスク警察だ!」「マスクをしない権利がある」とバッシングをされてしまうからです。
言いたくても言えない以上、何も言わずに離れるしかありません。
主張した人勝ちになるリスク
また、日本国内では何かを主張した人の意見がそのまま採用され、強く言えば言うほど周りが従わざるを得なくなる「主張した人勝ち」減少が起こっています。
理由は、主張する側のリスクに比べ主張を受ける側のリスクが上がったことも影響しています。
主張する側のリスク
例えば、ここ数年で進む働き方改革。
子育て世代の方やご自身の時間を大切に使いたい方にとっては、働き方改革が進むことは欠かせないことですし、花水(hanami)も大賛成です。
職場に子育てに合わせた勤務時間を求めること、他に取り組んでいる活動のために勤務時間を調整してもらえるように求めることに、10年前ほどリスクは大きくはないでしょう。
主張を受けた側のリスク
一方で、ライフスタイルにあった勤務時間の調整を求められあ側、主張を受けた側は大きなリスクがあります。
曖昧な対応を続けたり、高圧的な態度で一方的に退けたりすると労働問題に発展します。
特に最近は、現場の管理職が責任を追って処分を受けることも珍しくはありません。
主張しない側に負担が流れる
働き方改革の例では、主張をする側には理由があり、主張を受けた側には拒めないリスクがあります。
ですが、仕事の量を変えるほど企業に余裕はなく、職場全体での負担は変わりません。
そうなると、勤務時間の調整の理由がない「主張しない側」に負担が流れてしまいます。
「それなら主張すればいい」と思われてしまいますが、理由もなくすぐに主張することも、好まれないことを主張しない側は知っています。
主張した人勝ちになる風習は、「主張より我慢」だった日本的な風習を変える途中にあるのですが、負担の分だけでも、平等にできるといいですよね。