アルスラーン戦記の正義観
ファンタジー小説の中には、主人公側と敵側の対立があって、最後は主人公側が勝利するストーリーが少なくはないでしょう。
読み終えたあとに、「敵側は結局何を考えていたのだろう」と思う作品もあったりします。
今回は、日本の名作ファンタジー小説『アルスラーン戦記』で描かれている「正義」について、少しだけ掘り下げてみました。
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- アルスラーン戦記の正義観
善悪の対立ではない正義観のあり方
『アルスラーン戦記』には、単純な「善悪の対立」ではない「正義観のあり方」が現実世界のように描かれています。
ファンタジー作家の西尾維新さんは、文庫解説でこのような見どころを書かれています。
田中芳樹先生の小説を読んで、僕が『面白い』と思うと同時に『素晴らしい』と思う点として、価値観が決して、統一されていないところを、是非あげさせてもらいたい。いわゆる『敵側の価値観』もしっかり描かれているのだ。そしてまた、『主人公側の価値観』を、必ずしも絶対的なものとしては描かない―あくまでもそれは一つの意見であって、彼ら決して正しいわけではない。違う価値観に触れる楽しさや、己の価値観を疑う楽しさを教えてくれる。
西尾維新
『アルスラーン戦記7 王都奪還』文庫解説
ファンタジー小説好きとして注目したいのは、「敵側の価値観が描かれている」ことと「主人公側の価値観が絶対ではない」ところです。
この価値観を「正義観」に置き換えて掘り下げてみましょう。
それぞれの正義観
それでは、「アルスラーン戦記第一部」の舞台パルスの王族アルスラーン、アンドラゴラス、ヒルメスの3人。
極端な例として、イアルダボート教の司祭ボタンの主張する正義を比べてみますね。
アルスラーンの正義
主権:立憲君主制(?)
社会制度:革新的・中道、奴隷制度の撤廃
個人の権威:実力主義・承認制(?)
パルス王国王太子で、14歳の物語の主人公アルスラーン。
後に「他人の心をつかむ天性の才覚」が高く評価される、他者に対する優しさの心の持ち主でもあります。
幼い頃に王宮の外で育てられた経験から、パルス国内の王位継承、労働者や奴隷階級の者が貴族階級に搾取される現在の制度に疑問を抱くようになります。
アルスラーン個人に忠義を持つダリューン、かつて奴隷制度の撤廃を訴え政治を追われたナルサスとの出会いから「奴隷制度の撤廃」を中心としたパルスの社会制度の改革を胸に抱くようになります
アンドラゴラスの正義
主権:絶対王政
社会制度:保守的、現体制の維持
個人の権威:実力主義
パルス王国第18代国王で、武勇も国家の運営能力にも秀でた44歳。
第一次アトロパテネ会戦での敗戦後、ルシタニアによって奪われた領土と国民の統治の奪還のために国王に復権します。
アルスラーンからみたアンドラゴラスとヒルメスの正義観
アルスラーンの目線で、アンドラゴラスとヒルメスの正義観はどのようなものなのでしょうか?
アルスラーンの正義:アンドラゴラスの正義
パルスの社会制度の改革を目指すアルスラーンにとって、現在の国王アンドラゴラスの支配的な体制は改革しなければならない古い体制そのものといえます。
アルスラーンの下に集った仲間の中には、『アルスラーン戦記4 汗血公路』の時点ではルシタニア側に囚われていたアンドラゴラスが救出された場合、衝突は避けられないと考える者は少なくありませんでした。
アルスラーンの軍師ナルサスにいたっては、『アルスラーン戦記7 王都奪還』でアンドラゴラスを排除する計画さえほのめかすほどです。
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アンドゴラスからみたアルスラーンとヒルメスの正義観
『アルスラーン戦記5 征馬孤影』から表舞台に復帰した現国王アンドラゴラスの目線には、アルスラーンとヒルメスの正義観はどのように映っているのでしょうか?
ヒルメスからみたアルスラーンとアンドラゴラスの正義観
そして、ストーリー上アンチヒーローとして描かれているヒルメスの目線で、アルスラーンとアンドラゴラスの正義観を比べてみるとどうでしょう?
3人のパルス王族に仕える登場人物
それぞれの正義の主張を比較させていただいたところで、3人のパルス王族に仕える登場人物はどのように映るのでしょう?
実際には、成り行きで直接仕えることがなかった登場人物もいますので、「支持派」とまとめてみますね。
アルスラーン支持派
アルスラーンの下に集った人物の中には、ナルサスのように現在の社会制度に不満のある者、能力はあっても国王に真っ向から意見するなど真面目すぎるダリューン。
奴隷階級出身のエラムや女性武官のファランギース、少数民族のアルフリードやメルレインのように身分の不安定な者。
異性問題が多いギーヴ、酒の席で問題を起こすクバードのように、プライベートに問題のある者。
海外出身者の、ジャスワントやジムサ。
アンドラゴラスの体制では、人がらや能力が正しく評価されにくい人物が仕えています。
アンドラゴラス支持派
ギランの総督ペラギウスやカシャーン城主ホディール、既に戦死した万騎長ガルシャースフなど、住民からの税収入や奴隷制度で利益があり現体制で利益のある者。
伝統的な制度を重んじる万騎長シャプールや、上下関係がはっきりとした中でも世の中の泳ぎ方が上手い万騎長キシュワード。
大将軍ヴァフリーズのように、感情の波があるアンドラゴラスにも寛容な人物が仕えています。
ヒルメス支持派
ヒルメスの訴える、正統な王位継承を信じる万騎長カーラーンと息子のザンデ。
アンドラゴラスの権威に疑問を抱く万騎長サームらが仕え、現在までのアンドラゴラスの行動に不満のある万騎長バフマンは窮地の彼を見逃しています。
いわゆる「合わなかった」例
実際に物語の中では、社会制度の改革を訴えたナルサス、第一次アトロパテネ会戦で作戦に反対したダリューンがアンドラゴラスによって解任されています。
アンドラゴラスから度々処分を受けたことがあり、敗戦後放浪を続けていたクバード。
彼は旅の中で出会った戦友のサームが仲介したことでヒルメスに紹介されましたが、上下関係と礼儀に厳しいヒルメスの態度に居心地が悪くなり再び放浪の旅に向かいます。
アルスラーン一行でも、成り行きで仕えることになったバフマンは、アルスラーンの誕生の秘密を知り居場所を失うことになります。
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正義の決まり方は?
主人公アルスラーン側の正義が物語全体の正義かというと、そうでもないようです。
現実的な日本語で例えるなら、アンドラゴラス側にとってアルスラーンの正義は「社会を脅かす反政府活動」として厳しい対応がとられています。
ヒルメス側にとっても、「非現実的な理想論」として扱われ、議論の対象にすらなっていません。
正義の決まり方は、それぞれの主張があり、それを支持する人物がいて、影響を受ける人々で成り立つのは、現実の世の中もファンタジー小説の世界も同じなのではないでしょうか?