本当に本が読みたくなる読書のブログ

読書好きのための本当に読みたい本が見つかる書評ブログです。小説、実用書、ビジネス書ジャンルを問わず紹介。読書にまつわる豆知識のお話、文章の書き方のお話もありますよ。

ファンタジー小説の正義観と価値観を人気作品アルスラーン戦記で比較

アルスラーン戦記の正義観

読書コラム


ファンタジー小説の中には、主人公側と敵側の対立があって、最後は主人公側が勝利するストーリーが少なくはないでしょう。
読み終えたあとに、「敵側は結局何を考えていたのだろう」と思う作品もあったりします。
今回は、日本の名作ファンタジー小説アルスラーン戦記』で描かれている「正義」について、少しだけ掘り下げてみました。


※こちらのページでは、紹介作品の【ネタバレ】が含まれております。小説のストーリーを楽しみたい方は、作品の紹介記事を先にご購読いただきたくお願いいたします


素適な読書ブログが集まるグループです↑

善悪の対立ではない正義観のあり方


アルスラーン戦記』には、単純な「善悪の対立」ではない「正義観のあり方」が現実世界のように描かれています。
ファンタジー作家の西尾維新さんは、文庫解説でこのような見どころを書かれています。

田中芳樹先生の小説を読んで、僕が『面白い』と思うと同時に『素晴らしい』と思う点として、価値観が決して、統一されていないところを、是非あげさせてもらいたい。いわゆる『敵側の価値観』もしっかり描かれているのだ。そしてまた、『主人公側の価値観』を、必ずしも絶対的なものとしては描かない―あくまでもそれは一つの意見であって、彼ら決して正しいわけではない。違う価値観に触れる楽しさや、己の価値観を疑う楽しさを教えてくれる。
西尾維新
アルスラーン戦記7 王都奪還』文庫解説

ファンタジー小説好きとして注目したいのは、「敵側の価値観が描かれている」ことと「主人公側の価値観が絶対ではない」ところです。
この価値観を「正義観」に置き換えて掘り下げてみましょう。




それぞれの正義観


それでは、「アルスラーン戦記第一部」の舞台パルスの王族アルスラーンアンドラゴラスヒルメスの3人。
極端な例として、イアルダボート教の司祭ボタンの主張する正義を比べてみますね。

アルスラーンの正義

主権:立憲君主制(?)
社会制度:革新的・中道、奴隷制度の撤廃
個人の権威:実力主義・承認制(?)
パルス王国王太子で、14歳の物語の主人公アルスラーン
後に「他人の心をつかむ天性の才覚」が高く評価される、他者に対する優しさの心の持ち主でもあります。
幼い頃に王宮の外で育てられた経験から、パルス国内の王位継承、労働者や奴隷階級の者が貴族階級に搾取される現在の制度に疑問を抱くようになります。
アルスラーン個人に忠義を持つダリューン、かつて奴隷制度の撤廃を訴え政治を追われたナルサスとの出会いから「奴隷制度の撤廃」を中心としたパルスの社会制度の改革を胸に抱くようになります


アンドラゴラスの正義

主権:絶対王政
社会制度:保守的、現体制の維持
個人の権威:実力主義
パルス王国第18代国王で、武勇も国家の運営能力にも秀でた44歳。
第一次アトロパテネ会戦での敗戦後、ルシタニアによって奪われた領土と国民の統治の奪還のために国王に復権します。


ヒルメスの正義

主権:絶対王政
社会制度:保守的、旧体制への復古
個人の権威:世襲制
パルス先代国王の子として、「王位の正当性」を主張する若い実力者。
アンドゴラスと先代国王との王位継承を不当なものとして、自身が国王に即位するために立ち上がります。


ボダンの正義

主権:政教一致
社会制度:現体制の維持
個人の権威:個人崇拝
パルスとマルヤムへ侵攻したルシタニアで信仰される、イアルダボート教の最高権力者。
ルシタニアを含む支配地域にイアルダボート教によって統治される宗教国家の建国のため、神の権威と教義の独自解釈を使い、苛烈な宗教政策を押し進める。




アルスラーンからみたアンドラゴラスヒルメスの正義観


アルスラーンの目線で、アンドラゴラスヒルメスの正義観はどのようなものなのでしょうか?

アルスラーンの正義:アンドラゴラスの正義

パルスの社会制度の改革を目指すアルスラーンにとって、現在の国王アンドラゴラスの支配的な体制は改革しなければならない古い体制そのものといえます。
アルスラーンの下に集った仲間の中には、『アルスラーン戦記4 汗血公路』の時点ではルシタニア側に囚われていたアンドラゴラスが救出された場合、衝突は避けられないと考える者は少なくありませんでした。
アルスラーンの軍師ナルサスにいたっては、『アルスラーン戦記7 王都奪還』でアンドラゴラスを排除する計画さえほのめかすほどです。

志しを抱く仲間とともに進む『 アルスラーン戦記4 汗血公路』 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ


アルスラーンの正義:ヒルメスの正義

一方、ヒルメスの正義についてはどいでしょう?
現体制を改革しようとするアルスラーンにとって、血筋だけで王位につくことを主張し、さらに一世代前の体制の復古を目指すヒルメスの正義は、対立を通りすぎ「理解しがたいもの」として認識されています。

アンドラゴラスの正義≒改革が必要な社会制度
ヒルメスの正義≒理解しがたいもの


アンドゴラスからみたアルスラーンヒルメスの正義観


アルスラーン戦記5 征馬孤影』から表舞台に復帰した現国王アンドラゴラスの目線には、アルスラーンヒルメスの正義観はどのように映っているのでしょうか?

アンドラゴラスの正義:アルスラーンの正義

パルス領土と国民の統治をルシタニアから奪還し、現体制を維持したいアンドラゴラスにとって、不気味なヒルメス以上に危険視したのは息子で王太子アルスラーンでした。
社会制度の改革はもちろん、歴史ある王家の政権そのものを変えてしまいかねないアルスラーンに危機を抱いたことは、復権して早々にアルスラーンに追放を告げ、彼の側近のダリューンナルサスを厳重な監視下に置いた行動が物語っています。

出会いとすれ違いで変わる未来とは?『 アルスラーン戦記5 征馬狐影』 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ

アンドラゴラスの正義:ヒルメスの正義

一方で、正統な王位継承を主張するヒルメスとは、有無を言わさず処分を下すアンドラゴラスにとっては珍しい対話という対応をとっています。
「誰に王位継承権があるのか」に違いがありますが、実はアンドラゴラスヒルメスのパルス国への価値観に極端な違いは無いように描かれています。

アルスラーンの正義≒危険な思想
ヒルメスの正義≒権力者の違い


ヒルメスからみたアルスラーンアンドラゴラスの正義観


そして、ストーリー上アンチヒーローとして描かれているヒルメスの目線で、アルスラーンアンドラゴラスの正義観を比べてみるとどうでしょう?

ヒルメスの正義:アルスラーンの正義

正統な王位継承を主張するヒルメスにとって、王位そのものや社会制度に変化を求めるアルスラーンの正義は、子ども考える夢物語のような「理想論」でした。
青年のヒルメスにとって、アルスラーンは「まだまだ子ども」で有能な部下の考えを鵜呑みにし、自分で何かを成し遂げる実力がないものという態度がヒルメスの台詞のところどころに現れています。

それぞれにある正義とは?『アルスラーン戦記2 王子二人』田中芳樹 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ


ヒルメスの正義:アンドラゴラスの正義

もう一方のアンドラゴラスは、ヒルメスにとって「不当に王位継承を行った悪者」という、明らかな敵として認識されています。

アルスラーンの正義≒理想論
アンドラゴラスの正義≒権力者の違い




3人のパルス王族に仕える登場人物


それぞれの正義の主張を比較させていただいたところで、3人のパルス王族に仕える登場人物はどのように映るのでしょう?
実際には、成り行きで直接仕えることがなかった登場人物もいますので、「支持派」とまとめてみますね。

アルスラーン支持派

アルスラーンの下に集った人物の中には、ナルサスのように現在の社会制度に不満のある者、能力はあっても国王に真っ向から意見するなど真面目すぎるダリューン
奴隷階級出身のエラムや女性武官のファランギース少数民族アルフリードメルレインのように身分の不安定な者。
異性問題が多いギーヴ、酒の席で問題を起こすクバードのように、プライベートに問題のある者。
海外出身者の、ジャスワントジムサ
アンドラゴラスの体制では、人がらや能力が正しく評価されにくい人物が仕えています。


アンドラゴラス支持派

ギランの総督ペラギウスやカシャーン城主ホディール、既に戦死した万騎長ガルシャースフなど、住民からの税収入や奴隷制度で利益があり現体制で利益のある者。
伝統的な制度を重んじる万騎長シャプールや、上下関係がはっきりとした中でも世の中の泳ぎ方が上手い万騎長キシュワード
大将軍ヴァフリーズのように、感情の波があるアンドラゴラスにも寛容な人物が仕えています。


ヒルメス支持派

ヒルメスの訴える、正統な王位継承を信じる万騎長カーラーンと息子のザンデ。
アンドラゴラスの権威に疑問を抱く万騎長サームらが仕え、現在までのアンドラゴラスの行動に不満のある万騎長バフマンは窮地の彼を見逃しています。


いわゆる「合わなかった」例

実際に物語の中では、社会制度の改革を訴えたナルサス、第一次アトロパテネ会戦で作戦に反対したダリューンアンドラゴラスによって解任されています。
アンドラゴラスから度々処分を受けたことがあり、敗戦後放浪を続けていたクバード
彼は旅の中で出会った戦友のサームが仲介したことでヒルメスに紹介されましたが、上下関係と礼儀に厳しいヒルメスの態度に居心地が悪くなり再び放浪の旅に向かいます。
アルスラーン一行でも、成り行きで仕えることになったバフマンは、アルスラーンの誕生の秘密を知り居場所を失うことになります。

国内ファンタジー小説の名作『アルスラーン戦記1 王都炎上』の紹介 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ
志しを抱く仲間とともに進む『 アルスラーン戦記4 汗血公路』 - 本当に本が読みたくなる読書のブログ




正義の決まり方は?


主人公アルスラーン側の正義が物語全体の正義かというと、そうでもないようです。
現実的な日本語で例えるなら、アンドラゴラス側にとってアルスラーンの正義は「社会を脅かす反政府活動」として厳しい対応がとられています。
ヒルメス側にとっても、「非現実的な理想論」として扱われ、議論の対象にすらなっていません。
正義の決まり方は、それぞれの主張があり、それを支持する人物がいて、影響を受ける人々で成り立つのは、現実の世の中もファンタジー小説の世界も同じなのではないでしょうか?


アルスラーン戦記の正義観のまとめ


初版の出版から読みつがれ、40年に迫ろうとしている田中芳樹さんのファンタジー小説アルスラーン戦記』。
作品の見どころについて、ファンタジー小説作家の西尾維新さんは「価値観が統一されていない」ところに注目されています。
今回は、第一部のストーリーの中心になるパルス国を巡る3人の正義観をまとめてみました。
「正義と悪の対立」だけで終わらない、それぞれの正義観の対立は、実際の世の中でも繰り返されるものです。
現実に近い登場人物のやり取りが架空の舞台で繰り広げられるリアルなストーリーが、アルスラーン戦記が読みつがれている魅力のひとつなのかもしれませんね。


にほんブログ村 本ブログへ