中道という考え
今まで読んだ本を読み返して、考え方をまとめる企画を続けています。
今回は、お坊さん作家さんの本の中から「中道(ちゅうどう)」と呼ばれる仏教の判断基準のお話をまとめてみました。
「中道(ちゅうどう)」とは?
仏教の考え方に「中道」というものがあります。いたずらに苦しい方向へ進むのではなく、かといって快楽主義に走るのでもなく、極端に寄らず真ん中の道を行きましょうということです。
松本紹圭『こころを磨くSOJIの習慣』p94〜p95
仏教の教えには、「中道(ちゅうどう)」という考え方があります。
文字で書いてあるとわかりやすく、「真ん中の道」という意味がありますが、少しだけ違うようです。
それは、「右か左で真ん中」という意味ではなく、「極端に寄らず真ん中の道」とあります。
中道はブッダが悟った物事の判断基準
そもそも、仏教では極端な思考を避け、「中道」を目指すべきだと考えます。よく勘違いされますが、中道とは、真ん中を目指そうという意味ではなく、偏りのない状態のことです。お釈迦様はこれを、苦行を経験したことで悟りました。苦行も快楽も、結局は肉体への執着の裏返しに他なりません。そうした極端な考えを捨てて中道を目指そうと、お釈迦は考えたわけです。
鳥沢廣栄『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』p115
中道が「右か左で真ん中」とは違うなら、どんなことをいっているのでしょう?
鳥沢廣栄さんは、中道を「偏りのない状態」と書かれていました。
右と左は、東と西は行き先であって、別に偏っているわけではないように思えます。
偏っているとは、「人の判断基準」を示しているのではないでしょうか?
例えば、ある芸能人の不祥事が「許せる」「許せない」と意見が分かれたり。
凶悪事件の犯人の罪が「重い」「軽い」で意見が分かれたりします。
例えば、交通事故で人を何人も巻き込んで死なせてしまった人の判決が無罪なら、多くの人は「軽い」と思うでしょう。
それは、起こしてしまった事件に比べて判決が「軽い」に偏っているのは誰でもわかることです。
極端な判断は負担が大きい
ここで、私たちを悩ませている新型コロナ騒動を例に「極端な判断」と負担を考えてみます。
ニュースでも話題になるのは、人命最優先で自粛をするか経済活動を再開するかの意見です。
世の中の変化を捉えやすい
「極端な道」は、自分の頭の中で整理がつきやすいし、他人にもわかりやすく、格好良く聞こえるのですが、それは「安易な道」でもあります。「これだ」と決めてしまえば、そのときは気持ちが楽になるかもしれませんが、現実は常に揺れ動き変化しているので、決めた瞬間から必ずずれ始めるのです。
刻々と変化する社会という多面体の真ん中は、常に揺れ動き、はっきりと指し示すことはできません。中道を歩むことは、終わりのない旅でもあるのです。
松本紹圭『こころを磨くSOJIの習慣』p95〜p96
「極端な判断」は「安易な判断」と松本紹圭は書かれています。
理由は、変化に合わせた「偏りのない判断」をするのはとても難しいから。
私はこう考えることもできるかなぁと思います。
偏りのない中道の判断基準は、すぐ近い未来の世の中の変化を捉えやすいのではないでしょうか?
明日隕石が降ってきて地球が滅んでしまうような、極端な変化が突然起こることは、そう多くはありません。
ですが、地球の気候が少しずつ変化して、10年前の暮らし方を続けることができなくなることは珍しくはありません。
極端な変化は少なくても、小さな変化が起こることは当たり前のことです。
この小さな変化に合わせやすい判断基準が、偏りのない中道の考え方なのではないでしょうか?
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